(鯉寺 龍寶寺)
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龍寶寺
小見川藩主内田家の墓所を訪ねて、蔵前4‐36‐7の竜宝寺を訪ねた。この寺の近くには「川柳発祥の地」石碑があり、境内には、川柳の名前の由来となった柄井川柳の墓や石碑などが建てられている。墓地はさほど広くなく、十分もあれば一周できる。内田家の墓を見付けることができないまま撤収することになった。ちょうど寺の方と出会ったので、小見川藩主内田家の墓を探している旨を伝えると、
「近くにもう一つ龍寶寺があるので、そちらではないでしょうか。よく間違えられるんです。」
ということで、鯉寺龍寶寺への行き方を丁重に教えていただいた。ここから数百メートルほど北上した場所にある(台東区寿1‐21‐1)。こちらの寺は、本堂の前に鯉を供養するための鯉塚があり、鯉寺とも呼ばれている。
墓地は、道を挟んで向い側にある。その一番奥に最後の藩主にして子爵家初代内田正学以下内田子爵家累代の墓があった。蔵前の竜宝寺で寺の方と出会わなければ、見つけられなかっただろう。偶然に感謝。
子爵内田家累代之墓
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龍寶寺
小見川藩主内田家の墓所を訪ねて、蔵前4‐36‐7の竜宝寺を訪ねた。この寺の近くには「川柳発祥の地」石碑があり、境内には、川柳の名前の由来となった柄井川柳の墓や石碑などが建てられている。墓地はさほど広くなく、十分もあれば一周できる。内田家の墓を見付けることができないまま撤収することになった。ちょうど寺の方と出会ったので、小見川藩主内田家の墓を探している旨を伝えると、
「近くにもう一つ龍寶寺があるので、そちらではないでしょうか。よく間違えられるんです。」
ということで、鯉寺龍寶寺への行き方を丁重に教えていただいた。ここから数百メートルほど北上した場所にある(台東区寿1‐21‐1)。こちらの寺は、本堂の前に鯉を供養するための鯉塚があり、鯉寺とも呼ばれている。
墓地は、道を挟んで向い側にある。その一番奥に最後の藩主にして子爵家初代内田正学以下内田子爵家累代の墓があった。蔵前の竜宝寺で寺の方と出会わなければ、見つけられなかっただろう。偶然に感謝。
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子爵内田家累代之墓