(最勝寺)
草津市川原町の最勝寺は、川那辺願了所縁の寺である。願了の墓などが残されているかと期待して訪ねたが、墓地らしいものが見当たらなかった。

最勝寺
川那辺願了は、享和元年(1801)の生まれ。最勝寺の住職で、はじめ宗学を学んだが、のち梵暦を研究。さらに算学にも通じ、近隣の子弟を教授した。また当時医術が幼稚で病気に悩む人が多かったので、京都に出て医学を修め、医療の僧としても活躍し、かねて花道にも達していた。晩年、石見の浄観とともに仏教改革の謀議に加わった罪によって幽閉された。社会の救済と教化に尽くした功績は大きい。明治七年(1874)、年七十四で没。
(若宮神社)

若宮神社
草津市山田町北山田の若宮神社は、かつて村南六町の湖辺にあったが、寛永八年(1631)、現在地に移転した。
明治三十六年(1903)五月、元大津本陣正門を買収し、神社中門として移築した。今に伝わる貴重な遺構である。

若宮神社中門
(鞭崎神社)
鞭先(むちさき)神社の表門は、昭和五十二年(1977)の屋根の葺替工事によって、元は膳所城の南大手門であったことが明らかになった。
門の右手には潜戸を設け、控柱は外八双に開くようになっている。屋根には本柱通りに切妻を掛け、控えにはそれより低い切妻屋根を乗せている。屋根には膳所城主本多家の家紋である立葵を飾った軒丸瓦や鬼瓦を飾るほか、柱、扉等の要所に鉄板を鋲打ちするなど重厚堅固な意匠となっている。

鞭崎神社

膳所城南大手門
(新宮神社)

新宮神社
新宮神社の創建は、天平二年(730)と伝わる。本殿は棟札から大永三年(1523)に建立されたことが明らかにされているが、寛文十一年(1662)に大地震の被害を受け、この時、建物の地盤を上げて、正面に軒唐破風を新たに設けるといった改造が施され、現在の姿になったと考えられている。

膳所城水門
境内に、平成元年(1989)、旧膳所城の水門が移築されている。
(願林寺)
願林寺の山門は、膳所藩の解体時に移築されたものである。

願林寺

願林寺山門