史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

甲賀 Ⅲ

2023年02月04日 | 滋賀県

(本正寺)

 本正寺に油川錬三郎(ゆかわれんさぶろう)の墓を訪ねたが、墓地すら発見することはできなかった。

 

本正寺

 

 油川錬三郎は、天保十三年(千八百四十二)の生まれ。水口藩儒中村栗園の門に入り、漢学を修め、つとに国事に奔走し、慶応四年(1868)正月、同志を甲賀郡松尾山に糾合して赤報隊を組織し、自ら武田文蔵と変名して、東海道鎮撫総督府参謀木梨精一郎に指揮を請い、太政官に召されて入京した。のち一隊を編成して洋式訓練を行い、官命によって江戸に下り、同年八月、中村城その他各地を転戦した。凱旋後、藩職に就き判事に任じられ、廃藩置県後弁護士となった。明治四十一年(1908)、年六十七で没。

 

(猪鼻村)

 

東海道 猪鼻村

 

 猪鼻村は、鈴鹿山脈の西に位置し、中世は鈴鹿山警固役であった山中氏の支配を受け、近世は幕府領や諸藩領となって、幕末に至った。村中を東海道が東西を貫き、商いを営む者も多く、往時は五十戸を超え、賑わっていた。

 土山宿から坂下宿の間の立場(休憩所)があり、草餅や強飯(こわめし)が名物であった。農業のほか、製茶や林業も行われていた。

 

旅籠 中屋跡

 

明治天皇聖蹟

 

副碑

 

 旧旅籠中屋の前に明治天皇聖蹟碑が建ち、隣には副碑がある。明治元年(1868)九月二十三日、十二月二十日、明治二年(1869)三月九日、明治十三年(1880)七月十二日に滞在している。

 

(鈴鹿峠)

 三重県との県境、鈴鹿峠に万人講常夜燈がある。重さ三十八トン、高さ五・四四メートルという巨大なモニュメントである。由緒書きによれば、文化年中の霊験により見いだされた神石を用いたものという。鈴鹿トンネルの工事のため、三重県側の旧東海道沿いから現在地に移設された。ここを越えるともう三重県亀山市である。

 

万人講灯篭常夜灯

 

 明治元年(1869)九月二十三日、明治天皇は猪鼻を経て鈴鹿峠を越え、三重県域に入った。

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東近江 Ⅲ

2023年02月04日 | 滋賀県

(ホームきたまちや)

 

市田邸跡

 

明治天皇御聖蹟碑

 

 東近江市五箇荘北町屋町のグループ・ホーム「ホームきたまちや」の入り口に明治天皇御聖蹟碑が建てられている。題字は東郷平八郎。当地は、近江商人の一人市田太郎兵衛のあった場所であった。市田家は、「丸棒」という屋号を持つ呉服を扱う商家であった。

 

明治天皇北町御小休所

 

 ホームきたまちやの向かいの小さな公園に明治天皇北町屋御小休所碑が建てられている。明治十一年(1878)十月十二日および二十一日に滞在。

 

(藤井彦四郎(善助)邸)

 藤井彦四郎邸は、藤井家三代目善助の邸宅で、屋敷地には、珍石、名木を配し、琵琶湖を模した池泉回遊式の大庭園と総ヒノキ造りの客殿と洋館、土蔵等が立ち並んでいる。私がここを訪れたのは午後七時近くで、既に公開時間を過ぎていた。

 

藤井彦四郎邸

 

藤井彦四郎像

 

藤井系店創業の地

 

 藤井彦四郎(善助)は、文政元年(1818)の生まれ。農業を棄てて行商をして一家を成した父の家業を継承し、明治維新に際して京都に近江屋なる店を開き、備後、周防をはじめ、大阪、紀伊、伊勢方面にも販路を広げた。染呉服、関東織物を商い、薄利多売主義で、利益の配当も三人連の行商なら三つ割という俗に「善助割」という有利な振合で仲間の協力を得、家業を伸ばし、公共事業にも多く寄附した。明治十八年(1885)、年六十八で没。

 

(金念寺)

 

金念寺

 

島村紀孝顕彰碑

 

島村紀孝墓?

 

 島村紀孝(のりたか)は、文化四年(1807)の生まれ。幼時は家塾で父の教えを受け、長じて彦根の長野義言(主膳)に国文学を学び、さらに京都の書家貫名海屋、岐阜の野々口(大国)隆正、八幡の西川吉輔らと親しく交際し、特に吉輔とは兄弟の契りを結んだ。島村家は代々郷里で子弟を教えた。これが心学舎系の松の舎塾で、紀孝が三十歳の時、もっとも栄えた。高弟に丹羽正雄がいる。和歌もよく詠んだが、長野義言が「市辺忍歯御陵考」を著わした時には実測調査に協力した。明治二十年(1887)、年八十一で没。

 

 この時点で、さすがに夏でも辺りが薄暗くなる午後七時を過ぎていた。サッカーのゲームでいえば、ロスタイムである。この日の史跡探訪はここまで。湖南市内に確保したビジネスホテルに急いで移動した。

 

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彦根 Ⅵ

2023年02月04日 | 滋賀県

(清涼寺つづき)

 

貫名徹 同道 之墓(貫名筑後の墓)

 

 長野主膳の墓の近くに貫名筑後の墓がある。

 貫名(ぬきな)筑後は、天保二年(1831)の生まれ。墓石には、「徹」という筑後の通称が刻まれている。父は井伊直中の六男で、その子筑後は貫名家を再興した。井伊直弼の死後、幼君直憲を助けて、筑後、新屋左馬助、河手主水らの井伊一族は藩政の前面に立つことになった。筑後は文久以来の各作戦の将となり、とくに慶應四年(1868)の鳥羽伏見の戦いでは、諸藩に先駆けて幕軍に大砲を打ち込み、日和見諸藩の官軍化を決定的にした。明治以降は、彦根藩軍務局一等知軍事、権大参事として直憲を助けた。明治三十五年(1902)、年七十二で没。

 

(龍潭寺つづき)

 

招魂碑

 

 龍潭寺再訪を機に招魂碑の裏側を確認したところ、戊辰戦役に出征して戦死した彦根藩士の氏名や戦没地がぎっしりと刻まれていた。つまりこの招魂碑は、戊辰戦争における彦根藩士のためのものである。

 

従五位木俣幹墓

 

 木俣幹は天保十三年(1842)の生まれ。諱は守盟。長兄に木俣清左衛門(守彜)がいる。文久二年(1862)守彜が失脚したため、家督を継いだ。元治元年(1864)の禁門の変や水戸天狗党の討伐に出陣。慶応二年(1866)六月、第二次長州征討では幕府軍の芸州口先鋒となった彦根藩兵を率いて敗れた。明治二年(1869)彦根藩権大参事。明治三十六年(1903)彦根の自宅にて死去。享年六十二。

 

大久保章男君墓碑(大久保小膳の墓)

 

 大久保小膳(こぜん)は文政四年(1821)の生まれ。十六歳で小姓に召され、長じて井伊直弼の側役、兼ねて愛麿(のちの直憲)の師傳となった。万延元年(1860)、桜田門外の変の即夜、彦根急使となり、八日彦根に着き、さらに重臣会議の結果を持って江戸に復命した。文久二年(1862)、藩から直弼時代の極秘文書の処分を命じられたが、偽ってこれを秘匿、明治十九年(1886)に至り、井伊家に返却した。井伊家文書が今日に伝わる所以である。井伊家は、直弼勉学所埋木舎を彼に贈り、その誠忠に報いた。明治三十六年(1903)、年八十三で没。

 

(磨針峠)

 

舊中山道 磨針峠望湖堂 弘法大師縁の地

 

 明治十一年(1878)十月二十二日、高宮を発った明治天皇は、鳥居本から中山道を進み、磨針(すりはり)峠へ向かう山道に入った。その昔、諸国を修業中の青年僧が挫折しそうになってこの峠を通りかかると、斧を石で摺って針にしようと励む老婆の姿に接して発心し、のちに弘法大師となったという伝説の残る峠である。国道8号線から旧中山道へ入る交差点に「磨針峠望湖堂」と記された石碑があり、そこから凡そ一キロメートルほど進むと、望湖堂跡に達する。題字は、井伊直弼の曽孫井伊直愛(なおよし)彦根市長。

 

望湖堂跡

 

 江戸時代、磨針峠に望湖堂という大きな茶屋が設けられていた。峠を行き交う旅人は、ここで絶景を楽しみながら名物「するはり餅」に舌鼓を打った。参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節、また文久元年(1861)には江戸に向かう和宮も当初に立ち寄っている。茶屋とは言いながら、建物は本陣構えで「御小休御本陣」と自称するほどであった。その繁栄ぶりに、近接する鳥居本宿と番場宿の本陣が、寛政七年(1795)、奉行宛てに連署で、望湖堂に本陣まがいの営業を慎むように訴えている。

 望湖堂は、往時の姿をよく留め、参勤交代や朝鮮通信使関係の史料などを多数保管していたが、火災で焼失した。

 

明治天皇磨針峠御小休所

 

 明治天皇は、峠を上り切った望湖堂で休息し、琵琶湖の風景を楽しんだ。

 

(円照寺)

 高宮町の円照寺の門前に明治天皇行在聖蹟碑が建つ。題字は、一戸兵衛。明治十一年(1878)十月十一日と二十一日に滞在している。

 

円照寺

 

明治天皇行在聖跡

 

止鑾松

 

 円照寺境内には止鑾松(しらんのまつ)がある。「鑾」とは天皇の乗り物のことを指す。明治天皇の滞在に際し、乗り物を止めて松をご覧になったことから命名された。当時の松の巨木は、近年失われ、現在の松は二代目である。

 

(高宮本陣)

 円照寺のちょうど向かいが高宮本陣跡である。高宮宿には本陣が一軒あり、門構え、玄関付きで、間口約十五間、建坪約百二十三坪を誇った。現在は表門のみが残されている。

 

高宮本陣表門

 

 文久元年(1861)十月二十三日、皇女和宮もここで小休をとっている。

 

 

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