なんだか厭らしい言い方だけれど、意外と大切なこと。
これは退職した会社の若手の『弟子』たちに言い続けてきたことです。
かつて僕もそうだったように、人間どこかで見栄を張る。
技術的な仕事をしていると、そういう傾向になる人が多い気がします。
知らないことを、調べて勉強する。
今時は、インターネットで調べることが簡単に出来。何でも情報が手に入る。
これを繰り返していると、いつか『自分の知識』が『自分の経験』と
勘違いして、いわゆる『頭でっかち』の状態になって行く。
僕はそれで痛い目に遭って、それ以来自分の目で見たり、
自分の手で検証したりした『見て来たこと』だけを信用することにした。
逆に、それ以外の事は『見て来たようなことを言う』事であり、
極端な言い方をすれば、それらはすべて『嘘』なのだと。
それは結果的に自分の首を絞めることになる。
子会社で育てて居た若手には『出来ない自分を受け入れろ』と言った。
これは『自分の身の程を知れ』という意味で、『背伸びして無理をするな』
ということであり、『見て来たようなことを言うな』と云うことでもあった。
定年退職して、今の事務所を手伝っていて思うのは、
自分の会社の身の程を知らなすぎる・・・・と感じるのです。
ある装置を受注したくて、営業が案件を持ち返ってくる。
色々とアイデアを出して、簡単に作れそうな感じもする。
ところが、いざ設計となると手が足りない。
僕は電気設計者なので、機械系や筐体設計に関して、
アイデアやスケッチは描けたとしても、具体的な物づくりをしようとすると
設計図面をきちんと描かないと、物作りが出来ない。
そういう意味では、仕事を貰ってもやる手が無い。
僕に言わせれば『身の程を知らない会社』ということになる。
でも、結果的に下請けの会社に仕事を流して作り上げるんだけれど
自分自身にその能力が無いとしたら、仕事の主導権は
下請けの会社に牛耳られてしまうのです。
会社に限らず、自分の私生活においても同じことが言えますね。
アパート住まいでベンツを乗り回してみたり、高級品に身を包んだり
自分の収入以上の生活をしたがる人が居る。
それでも、本人が満足していれば良いのかもしれませんが・・・・・