自分で言うのもおこがましいのですが、
僕はどんな事でも練習や勉強するのが大好きです。
練習して下手になることは無い。
勉強して馬鹿になることは無い。
少なくとも、子供の頃からそういう体験をしてきました。
とは言え、いつからそうなったのかは解らないですが、
子供の頃はそういう体験をしても気が付かなかった。
大人になって定年まで勤めた会社に入ってからかも知れません。
失敗も練習だと思えば次につながる。
失敗を恐れてチャレンジしないと、いつまで経ってもその先は無い。
失敗を恐れない性格は、小学校のころの体験で培われたもの。
まぁ、その話は過去にして居るかも知れませんね。
今回の公演が終わって『練習は裏切らなかった』と感じました。
一番そう感じたのは、12年目にして初めて巡ってきたデュエットの唄。
今まで、他の人が唄うの見て羨ましくて仕方がなかった。
ただ、その唄も台本を読んでみると、簡単な内容じゃないだろうな…
そんな予感がしながら、楽曲が出来上がるのを首を長くして待っていた。
1月下旬の木曜日にその楽曲がメールで送られてきて、
僕は2日後の稽古までに、譜面なしで唄えるように夜中まで聴きこんだ。
台本もそうですが、譜面も同じで台本を見ながらやる稽古なんて言うのは
台本の棒読みしかできないと思っている。
そんな訳で、あくまで譜面は解らなくなった際の確認用。
まぁ、コーラス等では譜面持って唄っている人が居ますけどね。
僕は譜面を持つことが出来ない芝居の唄は、
稽古から譜面を持たないようにしてきた。
譜面を持って唄うのは、台本片手に稽古するのと
何にも変わらないと思っていますからね。
そんな事から始まって、2か月間は毎日のように声を出す個人練習をしてきた。
最初はキーが高く感じて、きつくて裏声でしか出なかった音が、
そんな練習を毎日するうちに、だんだん出るようになった。
そしてエッジを効かせて前に声を飛ばすことの練習でロングトーン。
最終的にはシャウト出来たらいいなって、野心を抱きながら練習しました。
シャウトとはハードロックやデスメタルなどで、
激しく声を歪(ひず)ませ、感情を露呈する唄い方です。
※「歪む」→がらがら声のような、ゆがんだ音
ところがそれは、唄が譜面通りに唄えることが大前提。
まずは譜面通りに唄えるようになって、次は感情を移入する事。
結局、この感情を移入する作業に本番直前の稽古まで時間を費やした。
芝居の中で、気持ちのテンションが少しでも下がると、
唄そのものに力強さが無くなって、シャウトどころではない。
先生の指導で、本番も芝居のテンションを下げないようにする事に神経を集中した。
いざ本番。
格好つけずに、今までやってきた練習の成果を出し切ろうと思いました。
すると、自分でもびっくりするくらい自然に唄がシャウトしていた。
打ち上げの場でアレンジの先生から
『シャウトしてましたねぇ』って言われて嬉しかったですね。
観に来てくれた友人からは
『前に音が飛んでくるようだった』と批評を貰った。
この公演で改めて『練習は裏切らない』と言う事を実感したのでした。