『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

捉え方の違い

2018年03月04日 | Weblog

今日は最後の台本読み。
初めに今回の舞台装置のデザインがほぼ決まり、その模型が出来上がって来た。
舞台のイメージを掴んでもらおうと、座長が皆に説明しながらのお披露目。
今度の芝居は3つの場面があるので、転換作業も大変そうです。

そんな事があって、今日の台本読みはいつもとちょっと雰囲気も違い、
立ちあがってセリフを言う人が居たり、身振り手振りを付けたり…
いよいよ来週あたりから立ち稽古になる雰囲気になってきました。

僕は立ち稽古までに、基本的なセリフは全部覚えて、自分の出番の前に、
台本を見てセリフを確認するようにして、とにかく台本を手放すつもり。
そう云う目標を持たないと、何時まで経っても覚えませんからね。
何時までも台本を手放せない人は、覚えようと言う気持ちが足らないのですよ。

それは音楽でも一緒。
ジャズやクラシックのように、1曲あたりの長さがある曲を演奏する場合や、
毎日同じメンバーで演奏するんじゃない場合は、譜面が必要だと思うのだけれど、
それでも音符を一つ一つ見て演奏している訳じゃない。
吹奏楽をやってる娘に訊いたら、譜面は使うけれど基本は暗譜で演奏する時の確認用だと思う。

逆にロックバンドで譜面台見ながら演奏してるのって見た事が無い。
そんなの格好悪いし、ダイナミックに動きまわって演奏する事も出来ないですからね。

そう言えば、赤坂のオヤジの店に出演していたミュージシャンに
『スティービーワンダーなら何でも唄える』と言って、リクエストを募ったので
僕が『Boogie On A Reggae Woman 』という曲をリクエストしたら、
なんと・・・・知らないと言う。
ネットで歌詞を探して見つけたけど、やっぱり唄えないって…
これには笑いましたね。それで良く、何でも大丈夫って言えるなって・・・・
その上、その他の曲もIPadで歌詞を引っ張り出して、それを見ながら唄ってる。
唄や演奏は確かに上手いのですけれど、僕にはとても『プロフェッショナル』だとは思えません。

僕は昔から、音楽で基本的に譜面と言うものを殆ど見ずにやります。
というより、40代から老眼になって、メガネをかけても、離れたところが見えないのですよ。
だから、逆に譜面台なんか無くても、唄ったり演奏したりは出来ます。

クラシックの交響曲じゃないんだから、唄の歌詞やメロディーなんかは1日あれば覚えられる。
英語の歌詞の場合は、歌詞を自分の手で書き写してみる。
学生時代に教科書や仲間のノートを書き写すと、覚えちゃうのと同じです。
これで殆ど覚えられますね。
但し、僕はあまり英語の歌は好きじゃありません。

ところが僕の相方は必ず譜面台の上に、歌詞カードを置く。
相方曰く『ビートルズの曲はほぼ唄える』と言うのだけれどね。
でも、歌詞カードがあって唄えるのであって、歌詞を完全に覚えている訳じゃない。
だから得意なはずのビートルズナンバーが、歌詞カードが無いと唄えなかったりする。

歌詞カードが無いと唄えない人は、台本を持って芝居しているのと同じ…
そんな風に思っている僕には、昔から何となく違和感があったのです。
その違和感が何なのか?具体的に判らないから、何も言わずに来ました。

13年前に突然、芝居をやるようになって、そのあたりの感覚が変わりましたね。
芝居は台本を持ってやる訳には行かない。
しかも台本通りにセリフを言うだけでも、芝居は成り立たない。

歌詞カードが無いと唄えない人は、台本を持って芝居しているのと同じ。
僕が相方に対して感じていた違和感も、ハッキリとした。
まぁ、ラジオドラマっていうのがあるから、何とも言えませんがね…

そんな訳で、僕は芝居を始めてから音楽や、唄う事の捉え方が変わってしまった。
相方と音楽をやる機会が減ったのも、そのあたりが原因かもしれませんね。

コメント
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