『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

人生なんて出会った人次第(その2)

2018年03月08日 | Weblog

昨日の続き

昨日は音楽の人間関係を書いたけれど、僕の人生の半分は
この人間関係で、その後の人生の方向を左右したと言っても過言じゃない。

あの関東甲信越大会でそつなくこなせば、全国大会への道は用意されていた。
もしかして、音楽を生業にする人生を送って居たかも知れません。
まぁ、そんな実力は持ち合わせていなかったから、今考えたら正解だった。

コンテストに出るようになる前に、僕は音楽関係の仕事をしていましたからね。
そのきっかけも、結局は音楽で知り合った人間伝いで広がって行った。
音楽事務所を開き、レコードデビューさせるバンドを売り込みに行ったり、
その事務所でライブハウスを開き、その当時は出演者も売れっ子が多く、
東京で3本の指に入るような、有名なライブハウスになった。

それでも、なかなか食べて行けず3年目に独立して舞台照明の仕事に就いた。
この時に、偶然出会ったのが安田さんと言う照明家。
この人に付いて、青江美奈のショウを手伝ったら、次に小林明のショウに誘われた。
その時の仕事ぶりが評価されて、美空ひばりの舞台スタッフ『Kステージ』から
仕事が舞い込んできて、それからは海外のジュリーアンドリュースの日本公演に帯同し、
音楽関係では矢沢栄吉、さだまさし、ゴダイゴ、チューリップなどの
名だたるミュージシャンや歌手のステージで仕事をして、何とか食べて行ける状態になった。

この時も『人の繋がり』の大事さを感じましたね。
人を裏切らないように頑張れば、必ず見ている人が居ると感じました。
僕は一切手を抜いたりして来なかった。
これだけは自信持って言えます。
だからこそ、いろんな人から声がかかったのだと思う。
それも、どんどんレベルの高い仕事が舞い込んでくる。
声が掛かったら、その人に恥をかかせたくない・・・・
それが結構、プレッシャーになっていたのも事実です。

それでも、僕には根性が無かったですね。
楽しい事ばかりじゃなかった、今思えば辛い時の方が多かったかも?
将来、自分がその道で生きて行く自信が最後まで持てなかった。

それに、やっぱり自分が音楽をやりたかった。
生業ではなく、趣味として楽しみながらやる音楽をね・・・・。
結局、叔父の経営する珈琲問屋の手伝いをしながら、
趣味としてバンド活動を再開するすることにして、
請け負っていた舞台照明の仕事を少しずつ辞めながら、
最終的に舞台の世界から離れて、完全に足を洗った。
と言うより、逃げて来たと言った方が正しいでしょう。

続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする