今日は、本社で技術報告会があって、
かつての弟子が何やら報告するらしいので、
今の部署に来てから、新たな弟子として育てている若手に、
その報告会を聞いてくるよう、事前に配布された
発表内容の資料にも目を通しておくよう伝えてあった。
ところが、その内容を見た今の弟子が直前になって
わざわざ時間を割いてまで行く必要があるのか?と
訊いて来たので、その理由を話してもらった。
何でも、事前資料を見る限り、僕が以前にやらせた仕事とほぼ同じで
今回の報告の目的もハッキリしないうえに、何となく中身の薄い事が判って
そう判断したらしい。
それでも僕は、そういうことも含めて、他人の仕事のやり方や、
仕事のまとめ方を見て来いと言って、結局行かせたのだけれど
帰ってきてから話を聞くと、僕がやらせた仕事より中身がなかったと・・・・
要は、目的がハッキリしないから出てくる結論も何の意味も持たない。
弟子いわく、「あんな報告のために多大な時間を割ける本社が羨ましい」と・・・
そして僕がやらせている仕事のやり方で、自分のスキルが上がっている事に
気がついたと、嬉しい事を言ってきた。
発表したのが、元弟子と言う事もあったのだろう。
正確に言うと、元弟子にしようと思っていた男・・・・
と言ったほうがいいだろう。
この男の造反に始まって、結果的に僕が阿呆らしくなって逃げてきたのだけれど・・・
世間で言う師弟関係には2種類ある。
ひとつは、学校の先生と生徒のような関係。
この場合、教える方は丁寧に、理解できるまで一生懸命教える。
教わる方に意欲が無くても、とにかく教えようとする。
教えると言う事を職業にしている人だから、仕方がないのだろう。
もうひとつは、いわゆる「親方と弟子」の関係。
同じ教える人と教わる人が居る事では、同じ師弟関係。
でも、明らかに違うのは教わる方に意欲が無ければ教えない事かな?
会社でも「勉強会」と称して、なにやらやっているが
こういうのは往々にして、技術者は受身で教えても殆どが身につかない。
僕が人を育てるときは必ず後者。
だから、僕の指導方法は傍から見たら放置しているように見える。
僕自身が、ずっとそういう環境で育ってきたからかも知れないが、
育てる環境だけ用意してやって、そのあとは本人に任せる。
「教えてください」なんて、最初から言う奴にははっきりと
「嫌だよ、教わるんじゃなく盗め」って言う。
それは、僕からだけじゃなく他の人からでも吸収できる事もあるし
本や、今時のインターネットで調べる事も出来るからだ。
前出の元弟子になれなかった男は、頭でっかちで知ったかぶりをする奴で
なおかつ、教わる人間に対してリスペクトしていない。
こういう男は、幾つになっても育たない。
いわゆる、資質の問題と言う事でしょう。
今の弟子が、順調に育って来ているのが今は嬉しい。
以前は決して褒めなかったのだけれど、最近は少しずつ褒めるようにしている。
その結果、最近は自分の意見を言えるようになってきた。
定年までには、間違いなく僕を追い越してくれるでしょう。
親方と弟子。
こんな古い頭の人間に、ついてきてくれる若者が居るだけで
僕は幸せなんだなぁ・・・・って思うようになってきた。
復興が「人質」に 口閉ざす住民
http://mainichi.jp/feature/news/20130206dde012040022000c.html
震災2年 なお31万5196人避難
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130311-00000001-mai-soci
最近のニュースを見ていると、何か胡散臭いものを感じる。
自民党政権になってから、その匂いがきつくなったと言うか・・・・
復興を理由に、建設関係の特需が浮かび上がっている。
その最たるものが『防潮堤』だろう。
青森から福島までの海岸線200km以上の長さに、高さ9mの防潮堤を作り
津波の被害から守る計画だという。
街の復興計画も、この防潮堤を作ることが前提で予算が下りるらしい。
9mもある防潮堤なんて、海が見えなくなっちゃうじゃない・・・
それに防潮堤の向こう側が見えないほうが、いざという時に危険な気がする。
第一、今回の津波は1000年に一度の大津波で、100年に一度だとしても
次に来るのは100年後でしょう?
コンクリートの防潮堤が、100年の寿命があるのだろうか?
有ったとしても、今はその8000億円を防潮堤より街の再生に回すのが
復興という意味では先決の気がするんだけど・・・・
例えば住宅建設なら1年で沢山作れるけど、防潮堤が完成するのは
数年後なんじゃないのかな?
その間に、また大きな津波が来たら被害ばかりが嵩む気がするけど・・・
それに住宅なら被災者の生活が、一歩前に進む気がするけど
防潮堤って、今の段階では被災者に何ももたらさない気がするし・・・・
震災で大儲けする業界があるって、何か許せない気もする。
復興で雇用の創出も、何かおかしい。
建設族と仲のよろしい自民党に政権を与えたのが間違いだったか?
8500億円あれば、被災者が何人救われるか?
政治家が真面目に考えているとは思えないのは僕だけだろうか?
今週末は、昨日に続き新浦安駅前にある浦安市民プラザでの稽古。
浦安まで片道1時間余、電車賃が540円かかるので一日1000円。
貸し切り料金が安いので、市民プラザを利用しては居るのだけれど
同じような電車賃を支払ってくる人が何人も居ることを考えたら
そのお金を都内の稽古場を借りるお金に回したら・・・・
なんて考えちゃうのだけれど、いずれにせよ何処へ行くにしても
電車賃は発生するから仕方が無いですね。
さて、今日は作曲をして下さった片野先生がいらっしゃいました。
主の目的は、唄のキーを決める事。
先生ご自身が書いた曲に、河岡先生の振付がついたものを見るのは
先生も初めてなので、ご自身もちょっと期待していらしたみたい。
唄の上手い下手は別にして、振り付けで曲が思っていた以上に
良いイメージに仕上がりそうなので、先生も嬉しそう。
これは芝居の台本と、曲を上手く絡ませるのが振り付けって事なのでしょう。
河岡先生の振り付けが、作曲者のイメージといかに噛み合って居るか?
それによって、出来上がりに左右するんだと思う。
実際に、僕も振り付けで唄う時の気持ちが変わりますからね。
台本を見て、その中にあるメッセージを盛り込んで曲を作る、
それに合わせて付ける振り付けで、更にそのメッセージを強く伝える。
凄いなぁって思うのは、先生居同士が同じような感覚を持ち合わせているところかな?
打合せをしなくても、普通に台本から読み取って作ってしまう。
プロフェッショナルだなぁ・・・・って、いつも思います。
芝居をする我々も、同じように台本から読み取って演技をしないといけないのに
そう云った事を理解している人が少ないのが、アマチュアなんでしょう。
そして、唄い方の指導も片野先生からして頂いた。
ボイストレーナーの石崎先生とは、また違った指導なんだけれど
基本的なところでは、同じだなぁって思った。
多分、石崎先生は最後に魔術を使って、我々にパワーを与えるんだけど
一流のプロフェッショナルの先生たちに、指導して貰えるこのアマチュア劇団は
やっぱり、普通のアマチュア劇団とは違うなって感じます。
ちょっと気になるのが、休みが多くて出遅れ気味のリズム音痴のおじさんと幸代さん。
唄も振り付けも全然出来ていない上に、芝居の方も同じように出遅れている。
ただでさえ合わせるのに大変なコンビなので、ちょっと気の毒な感じがする。
まぁ、それでもみんなで助け合って稽古を進めるしかありません。
休みがちと言えば僕は休んでばかりいるって言う印象が根付いているみたい。
去年、一昨年は休みや遅れて行ったことが何回かあるけど、
自分の日記に書いてある記録では、丸々休んだのは2回だけ。
シニア大会の決勝があった4月と、子供の学校の関係で休んだだけ。
嫁さんのお母さんの3回忌の日だって、千葉から先に帰ってきて
夕方から参加したり、遅れてでもとにかく参加してきたのに心外ですね。
印象で物を言う「定性的」な事は、何の裏付けも無いことで信頼性に欠ける。
きちんと「定量的」に判断して物を言って欲しいよなぁ・・・・
とちょっと憤慨したんだけど、おばさん達にそれを言っても理解できないでしょうし
当然、聞く耳も持たないですから、言わせておきます(笑)
でも、そんな事で「自分は技術者なんだなぁ・・・・」って思ったりします。
今日は、今までのおさらいと、2幕の楽曲の半分を振り付けしてもらいました。
今回の芝居は、今までとはちょっと趣が違って、これまでのように
オープニングの派手な登場や、2幕の最初のパーティーシーンのような
派手な唄のシーンが無く、音楽はあくまで芝居の添え物といった、
本来のミュージカル芝居のスタイルに作られている。
それだけに、芝居の中での曲は芝居そのものにつながるから
かえって難しい気もしている。
とはいえ、2幕の最初に1分程度の短い曲なんだけど、
僕が参加する「これでツキが回って来る」という唄があって
今日はその振り付けをして貰いました。
みんなで始めた事業がうまく回り始めたと言う、ちょっと元気なナンバー。
僕の台詞がきっかけで唄が始まるのだけれど、なんと僕は一番前のセンター。
短い曲で、16小節くらいの短い振付なんだけれど
正直言って、真ん中は目立ち過ぎて嫌ですねぇ・・・・
AKB48がセンターを誰が取るか?で、話題になって居るけれど
僕は音楽でもリードボーカルよりはバックコーラスが得意だし、
サッカーでもセンターフォワードをやるよりは、
後ろのセンターバックの方が性に合っている。
目立ちたがりでも、先頭に立って目立ちたいとは思わなくて、
むしろ脇役みたいな、存在感のある目立ち方を好む方かな?
そうは言っても、振り付けは簡単なようでテンポが速く、
うっかりすると出遅れてしまうのが怖いですね。
そういう意味では、目立つ位置でしっかりやる方がよさそうです。
確定申告のために、今日は休暇を取って税務署に行って来ました。
前の日記に書いたとおり、とにかく書類の作り方がわからない。
それで、朝一番に出かけて相談員に教えてもらいながら
申告用の書類の下書きを作ったのでした。
意外だったのは、思ったより融通が利くこと。
経費などは、細かく領収書などを用意していたのだけれど
基本的に申告者の書いたものを信用して、細かいチェックはしない。
考えようによっては、誤魔化そうと思えば出来ちゃう感じ。
でも、抜き打ちで調査が入るそうなので、やっぱりきちんとするべき。
そもそも、誤魔化したって僕らのレベルではたかが知れてる。
そのために使うエネルギーを考えると、僕には無駄だと思うだけ。
それで下書きが出来たところで、一旦家に帰って計算のし直し。
それで作った正式書類を持って、再び税務署へ。
その後は、パソコンでどんどん入力して30分もかからずに終了。
税務署って、良いイメージが無かったんだけど、とんでもない。
丁寧な対応と、親切な説明でお役所のイメージがちょっと変わった。
来年からは、いちいち税務署に出向かずともパソコンで出きるらしい。
税金はとりあえず数千円で済み、それを支払って終了。
やっと肩の荷が下りた感じ。
で、帰宅したら税務署から『住宅取得税』の案内が来ていた。
こちらは数十万円の金額で、4月1日までに支払わなければならない。
これに関しては、安いのか高いのかも判らず・・・・
国民は税金をきちんと納める義務があるのだから仕方が無い。
でも、消費税率が上がったらこの住宅取得税も、数十万円の差が出るんだろうな。
そう考えると、政府の税制改革にはしっかり目を向けていないと駄目ですな。
大震災から2年。
このところ、テレビをはじめとするマスコミが
震災直後に生き残る事に必死だった人たちと
その支援に走った男達の話のドキュメンタリーが
放送されていた。
道路が寸断され、陸の孤島となった牡鹿半島。
漁師仲間を数人失い、食料もギリギリの中で
数日間生き残るために動いた漁労長。
遠く静岡の焼津から、支援物資を満載して
海上からアプローチした漁業関係者。
この支援に乗り出した男は、かつて自分の祖父が
伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けた時に、
九州の漁師たちから支援を受けて生き延びたことを、
孫の代まで伝えていたことから始まる。
その恩義を、忘れないで『今度は俺達の番』とばかりに
危険を顧みずに行動した焼津の漁師達。
牡鹿半島に到着した時に、瓦礫が行く手を塞ぐような
危険な状態になったにも関わらず、できる限りの場所に出向き
物資を配った労力と、勇気に感服した。
なおかつ、水産庁の船が瓦礫に行く手を阻まれると見るや
自らが持つ、特殊艇でピストン輸送して物資を届けたこと。
漁猟長が、水産庁の船の上で朝食を勧められても
『自分だけが食べる訳には行かない』と、やつれた身体で
とにかく支援物資を街の皆に届けることを優先したこと。
日本人は、こういった事を普通にやってしまうのだなぁ・・・
と、ちょっと感動した。
格好いいね。
焼津だけでなく、全国の漁師達が支援に馳せ参じた姿は
『男気』みたいな物を感じたのでした。
日本人は、やっぱり素晴らしい国民が沢山居るのだと
誇らしく思えたのでした。
やっと暖かい季節がやってきました。
昼間の気温は20度近くまで上がり、サッカーをやるにも丁度良い陽気。
今日は帰りがけに、髪の毛を切って来ました。
去年の暮れに切ったきりで、今回は芝居の関係もあって
少し長めにしようと思い、前髪と横を中心にカットして
いわゆるウルフカットみたいな髪型にしてもらいました。
まぁ、言わなければ判らない程度のカットですがお気に入りです。
カットを終えて、定番の帰宅前の珈琲をご馳走になる。
そのカウンターに、5年目になるH君の三多摩レディースヘアモードで
優勝した賞状とトロフィーが飾ってあるのに気がついて、
凄いなぁって、本人に「おめでとう」と言ってあげた。
本人は謙遜して、大したことないです・・・なんて言っていたけど
僕は「優勝」とか「一番」に拘る人間だけに、本当に凄いと思う。
店も閉店時間なので、僕のカットを担当するマネージャーに
どんな些細なことでも、一番になるというのは大事なことと
万年二位の僕が、一番に拘る理由を話してあげた。
これは以前の日記にも書いたので、割愛するけれど
『2位にならないと、負けた本当の悔しさは判らない』と言ったら
H君が、『そうですね』って反応した。
考えてみれば、彼は沖縄出身で高校時代は甲子園を目指していた野球少年。
全国制覇を成し遂げた高校と言えば判るかと思うけれど、
彼の時は沖縄大会の決勝で敗れて、甲子園の土を踏めなかったそうだ。
それだけに優勝することの意味は、人一倍判っているみたい。
だからこそ、彼も『一番』以外は目指していないと言う。
毎日、閉店後に夜遅くまで練習をやっているのを、帰宅途中で見かける。
若い頃は遊びたいだろうけれど、若いからこそ今しか出来ないことに
チャレンジしている姿は、会社の若手にも見習って欲しいくらい。
努力は必ず報われる。
それも本人は良く判っているから出きるんだろうな・・・。
何だか、そんな若者を見ると妙に感動してしまうオジサンになってしまいました。
確定申告・・・・
やっぱり、全然わからないや・・・・
お役所の書類って言うのは、一般の人間には本当に判りにくい。
よほどお役所の方は頭が良いのか?
それとも僕の頭が悪いのか?
多分、誰もが間違いなく後者だと思うでしょう。
確かに、会社でも書類作りは得意じゃない方ですが、
それでも、何とか作れるレベルの難しさ。
日ごろから、若い連中には設計の仕事は回路図などの
図面を描く事が仕事じゃないと言い続けている。
設計とは、図面を通じて自分の作りたいものを表現するもの。
つまり、自分だけが判っている様な図面は設計ではない。
誰が作っても、同じものを作れるような設計をしなさい、
そのために誰が見ても判る図面を描きなさいと言うのが
僕が管理職を降りた今でも、若い人たちに言い続けていること。
それは自分にも言えることで、どんなものを作るのか?
を、具体的に判りやすくしたものが設計仕様書。
その設計仕様どおり作るための、計算や裏づけが設計試料であり
出来上がった物が仕様通り出来たかどうかの評価をする物差しになる。
とにかく、誰が見ても判るものというのが、僕のポリシーみたいになっている。
それだから、何度見ても専門用語の羅列とその説明一つが無い
お役所の書類は、作るのに非常に手間暇がかかる。
せめて、こういう出費や入金は、どの項目になるだとか、
素人に判るように説明するのがプロの仕事だと思うのだけれど
僕の考えは間違っているのかなぁ?
イライラする毎日が、本当に嫌になりました。
てな訳で、金曜日に休暇を取って朝から税務署で書類を作って
その日で終わりにしてしまおうと思っているのです。
昨日、一昨日と劇団の稽古でおじさん、おばさんが一生懸命に
芝居の稽古や、振付に挑んでいるのをみて微笑ましかった。
一生懸命にやる姿って、掛け値なしに良いものだって思った。
僕は、どんなことでも一生懸命にやる事を信条として来た。
何度も転職してきたのも、本気になれなかったり、
本気になっても、途中で阿呆らしくなったりが原因なのだけれど、
じゃあ、一生懸命にやって来てないじゃないかといわれると、
決してそうじゃない。
むしろ、なにをやるにしても、すぐにのめり込んで
人一倍エネルギッシュにやってきたと自負するほど、
何事も一生懸命に取り組んで来たつもりです。
ところが、この半年は今までとはちょっと違う。
こと、仕事に関しては特にやることが無いのに加えて
何かをやろうと云う気持ちが全く湧いてこない。
定年が見えてきたと云う事もあるのだろうけれど、
色々とやる気を失うようなことが続いて、アホらしくなっちゃってから
モチベーションを失ってしまい、それを高めようとする気力さえ湧かなくなってる。
会社に対する不満と言うよりは、能力や愛情のない上の人たちに
不信感しか持って居なくて、そんな人達を喜ばすような事をするほど
お人好しの馬鹿になれないと言うのかな?
以前は、そんなお人好しの馬鹿でいいや・・・・って言う感覚の方が大きかった。
そんな時は、必ず自分の上には信頼できる人が居た。
見方を変えれば、僕はそう云ったバックボーンみたいなものが無いと
思い切った事が出来ない臆病者なのだと思う。
去年の暮れに、信頼している仲間から
『お前は、周りの愛情に支えれて生きてきたお坊ちゃま』
と言われた事があるが、実際の所そうなのだろう。
理由はどうあれ、何事も一生懸命にやることを普通にやってきたから
逆に、何をやっても楽しめたし、楽しいからのめり込んだりした。
何事も嫌々やって、良い結果を生む事も、達成感も得られないって
そんな中で感じ取ってきたから、尚更です。
だから、今の自分は随分と変わってしまったなぁ…って思う。
実はいま、そんな自分が大嫌い。
なにか自分を変えられる・・・というか、
この先、以前のようなやる気満々の自分になれるものが無いのか?
そんなことを考えながら、毎日を過ごしているのです。
先週の日記に書いた通り、振付の日に第九の合唱に参加していて
欠席していた、かのリズム音痴のおじさんが登場。
振付の河岡先生の指導の下、練習をしました。
我々、おじさん・おばさんたちはその振付の様子を想像して
変な期待をして見ていたのです。
いやぁ・・・・期待を裏切らないところは、流石です。
なんせ、『リズム』という言葉とは無縁のおじさん。
まず肝心の唄が、やっぱり遅れる。
昔のテープ式のエコーを使って、回転ムラがあるかのごとく
とにかく、不規則なディレイがかかった唄になって、
パートナーの幸代さんが、その渦に巻き込まれないように必死になってる。
これだけでも、笑えるのにそれに振付が加わる。
みんなの想像通り、振付は先生の作ったものと全くの別物になってる。
途中で入るツイストは腰が振られて居ないで、肩だけが動いている
『蛇女の踊り』みたいな、怪しい動き。
逆に、変なところで今度はお尻をアヒルみたいに振ってるし…
8ビートのステップは、どう見ても『どじょうすくい』の足さばき。
8カウントで両手を広げて歩く振り付けは、平泳ぎのようになってる・・・・
とにかく見ていて、明らかに違う。
見ているみんなが大笑いしている中、先生も呆れて苦笑い。
でもね、なんだか必死になってやっているのが好感を持てて楽しい。
これこそ我々アマチュア劇団の『一生懸命やる姿を、お客さんに見せる』
という、原点の気がしました。
そういう目で見ていると、何だかおじさんの姿が微笑ましく見える。
座長が言う、『アマチュアリズム』はこう言った一生懸命さを
お客さんが感じ取って、元気を貰ったような気持ちになって貰うのが
この劇団の存在価値なんだって、思うようになった。
散々笑ったけれど、おじさんの奮闘ぶりに僕が茶化して
『ブラボー!』って拍手した。
でも、半分はそういう部分の拍手。
今年から、芝居を楽しもうと思うようになって、そう感じられるような
心の余裕が出来たのかも知れないと思ったのでした。
秘密基地は寒いのか?
また、風邪をひきそうな雰囲気です。
今まで、エアコンが効いたマンションに住んでいたので
夏冬を通して家の中は常に快適な温度と湿度が保たれていた。
秘密基地に生活拠点を移して、最初に感じたのが寒さ。
木造住宅だけれど、完全耐火にするために断熱材や耐火パネルは
普通の住宅の倍の厚さで作ったのに、僕の部屋は一階のせいか?
床が冷たい上に、天井の高さが四メートルあるせいで暖房が効かない。
最近、寒さに耐えかねて床に置くストーブを買おうと思ったんだけれど
その際に嫁さんが、ガスや石油は火事になるし、一酸化炭素中毒とかの
心配があるので駄目だっていうから、電気ストーブかオイルパネルヒーターのような
いわゆる火を使わない暖房器具にしろと五月蠅く言うので、
結局、場所を食わない電気ストーブを買った。
それでも、やっぱり寒い。
一戸建ての家の良さは確かにあるのだけれど、マンションの良さを
この冬は実感しましたね。
とにかく、一年を通じて室温がほぼ一定。
エアコンを使うからだと思っていたけれど、それだけじゃなかった。
去年の夏は、秘密基地で一回もエアコンを使わずに過ごせたから
夏になってみないと総合的な判断は出来ないとはいえ、
暑さは我慢できても、寒いのだけは大嫌いな僕にとって
マンションは凄く快適な冬の生活空間だなぁって思うようになった。
人間、自分の環境に慣れるといつの間にか麻痺してしまうんだなぁ…
それが当たり前になって、ちょっとでも違うと、いつしか不満に変わる。
マンションに住む前の賃貸マンション、その前に住んでいたアパート、
結婚当時の木造アパートと、少しずつグレードアップしてきたのも
そう云った麻痺状態になって、不満に変わってしまうのだなぁって
自分の贅沢な感覚にも気がついたり・・・・
仕事や、自分の人生もそうなのかも知れない。
そう云えば、いつぞやのコメントに
『ゆうちゃん、あんたは贅沢なんだよ』
なんてコメントがあった。
うぅん・・・・そうなのかも知れないな。
それでも、やっぱり寒いものは寒いのです(笑)