『病んだ心の人』と『心を病んだ人』は、同じようで全く違う。
前者は加害者として存在し、後者は被害者として存在する事が多い。
ただ、この二者は必ずしも加害者と被害者の関係になるかというと、
はっきりと関わりが、良く解らないケースの方が多いかもしれない。
僕が思うに『病んだ心の人』に、自覚症状と言うものはない気がする。
僕はいう『病んだ心』とは、他人の気持ち、心の痛みが判らない人の心です。
世の中で言う「性格の悪い人間」の一部ですな。
この手の人間は、自分にとって都合の良い人に対しては優しい。
だから、似たような人間は居心地が良いから集まって、徒党を組む。
虐めグループとはそう云う集団なのです。
このタイプは間違いなく自分が痛い思いをしてきて居ない。
意地の悪いこと、他人の嫌がる事をやっても、心が痛まない。
子供のうちに、そう云う他人の痛みを教え、躾けて育てないと、
悪い意味での『三つ子の魂』になって、大人になってからでは直らないのです。
生い立ちや育ち、子供の頃にどう育てられたか?
子供はどんな環境、どんな家庭で育ったか?が大きく影響して育つ。
世の中には金持ちでも浅ましい人間、貧乏でも凛とした人が居るように
金銭的に裕福であっても、心が豊かには育つかどうかは、
育った環境、親の教育なのです。
少なくとも僕のプライベートな付き合いをしている仲間には、
『病んだ心の人』は居ないから、なおさらそう思うのかも知れない。
そう云う意味で『病んだ心の人』は、哀れだなって思ったりする。
ところが、世の中が不条理で理不尽なのは、このタイプは圧倒的に
世渡りがうまく、ちゃっかりとズルイ事をやってのける。
会社にはこの手の人間が意外と多く、上に上がって行くのも不思議なところ。
一方、『心を病んだ人』はある程度の自覚症状を持っていると思う。
『心を病む』とは、仕事のストレスや対人関係でのストレスに晒されて
いわゆる『心が折れた』ような状態になってしまった人。
人の心の痛みを、身をもって知っているから、いつも気にして生きている。
前者が『意地悪』なのに対して、『優しい』人間が心を病みやすい。
手前味噌のようだが、僕は子供を親に育てられた時と同じように育てたので、
子供達は他人に対して心優しい子に育ってくれた。
特に長女は小学校で虐めに遭い、そういう心の痛みを知っているから
中学校に入って、登校拒否の生徒の家へ行って、友達になったりと
本当に優しい子になって、その付き合いは成人してからも続いている。
虐められやすい子になってしまったのは、ちょっとかわいそうだったけど・・・・・
会社と言う組織の中では、この両者が同居すると悲惨なことになる。
たった100人余の組織に、休職者が数人。
なおかつその予備軍まで数人居るとしたら、単純に数%の疾患率になる。
数千人の企業だと数十人居ることになるから尋常じゃないなって思う。
それでも会社と言う村の中で、出世(昇進と言った方が正しい)して居るのが、
この手の人間が意外と多かったりで、会社はこう云う人間を好むのかと思うほど・・・・
僕にはどう考えても不思議で、理解できなくて仕方がない。
だから悩んでしまい、『心を病む』事になるのかも知れませんが・・・・・
まぁ、そう云う『病んだ心』の人達が運営する企業は、その程度の品格しか無い。
まともな社会では、いずれ淘汰されてしまうのかも知れません・・・・