『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

『恥ずかしい人』たち

2014年09月30日 | Weblog

最近、自分を育てた親の教育や、育てられ方に感謝する事が凄く多くなりました。
何故かと言うと、世の中には色々な人が居るから・・・・。
そして、僕の独断と偏見で言わせてもらえば『恥ずかしい人』が、思いの外多い事からかな?

『恥ずかしい人』とは他人を妬み、他人の幸せを僻む人。
自分より凄い人を素直にリスペクト出来ずに、『妬む人』は特に哀れな感じ。
僕の場合、凄い人が居るとすぐに近付いちゃう。そして真似をしたくなる。
身近に尊敬できる人が沢山居るから尚更『他人を妬む人』は理解できないのです。

これは、会社のような組織において、露骨に表れるから面白い。
他人の成果を妬むもの。それを横取りする人間。
こう云う行為は組織が『村社会』ゆえに起こる事だと思っている。

僕の居る組織は子会社だから、より一層『村社会』色が強い。
本社から来て、最初に驚いた事はレベルの低さ。
技術的な事以前に、仕事をさせる環境のレベルがあまりにも低かった。
デスクのある職場は広くて綺麗なんですよ。そう云うハード部分ではNo.1なんだけど
いかんせん、仕事をする環境が整っていなかった。
そう云うプアなマインドでやってきた連中は、やっぱり心の面でもプア。

本社と比較して、見た目の良さは勝っていても、中身が伴わない。
『村社会』では自画自賛して、自分たちの事を肯定する。
だから本社へ出向すると、レベルの高さについて行けなくて悩み、
早く子会社に戻りたいと思うようになる。

一生懸命『村社会(子会社)』は『都会(本社)』に追いつけ、追い越せと
『何とか銀座』を作るんだけど、所詮は村の中での発想だから、
銀座のクラブと、田舎のキャバレーの違いすらも判らない。
自分を磨こうとせず、他人の真似をしているだけでは『村』から脱出できないのに…。
そう云う『村社会』が生み出すのが『他人を妬む人』なんでしょう。

もうひとつの『恥ずかしい人』は『他人の幸せを僻む人』。

今回のスイス旅行の話をすると、『良いですねえ・・・・』と云う人が殆どだけれど、
中には『なんで、そんなお金持ってるの?』って言う人が居る。
こう云った人の財布の中を覗き込むような振る舞いは、『恥ずかしい』を通り越して
『あさましい』とか、『卑しい』などの部類に入る。

辞書でこの二つを調べると、共通して居るのが品性に関して書かれている事。
『あさましい』では、品性が卑しい、さもしい、下劣とある。
『卑しい』では品位に欠けている、下品とある。
金銭や食物に対して貪欲な様も言うらしい。

いずれにせよ『恥ずかしい人』は育った環境で育成されるようです。

僕のプライベートな付き合いでは『恥ずかしい人』は皆無に近い。
親には、他人の事を妬んだり、自分の事を僻んだりするんじゃない!
と言われて育ってきたからなのでしょうかね?
親の教育や、育てられ方に改めて感謝する事が凄く多くなりました。

コメント
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