後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ちびた さんのブログをご紹介します

2008年07月17日 | 国際・政治

自分のブログを多くの人々に読んで貰いたい。それで、「みんなの足跡」というネットワークへ登録した。すると、このブログを訪問してくれた人々の足跡が残る。その足跡をクリックすると訪問してくれた人のブログを読むことが出来る。

訪問してくれた多くの若々しい人のブログを読んでいるうちに感動したことがいくつかある。

1)日常生活を大切に、前向きに、一生懸命に生きている人が多い、

2)ブログの記事へ対して多数の人々が短い、気の利いた、そして建設的なコメント   を投稿している。気軽にコメントを送っている。

今回、ご紹介する、ちびた さんのブログも瑞々しい感性で毎日見聞きしたことを写真や文章で説明しています。例えば、近所の畑のヒマワリの花が突風で倒れたときの写真と記事は、いきいきとして、残念と思う気持ちがよく出ています。それに対して32人の若い人々のコメントが、ガッカリしている、ちびた さんを心優しく慰めています。詳しくは、このURLへ、どうぞ!

http://chibita.blog.tsuge.jp/

しかし、老人が若い人のブログを読む場合に準備しておく事がいくつかあります。

1)書いてある言葉や、言葉使いが若者の話し言葉そのままであること。

書き言葉と話し言葉が完全に同じになっている。驚かないで下さい。

2)ブログを書く人も、読む人も、完全に平等で、親しい友人として会話している。したがって敬語や丁寧語は一切使わない。老人文化では初対面の人には敬語を使いますが、ブログ文化にはそれが有りません。

3)ブログで使う人名は「ちびた」とか「ゆき」とか平仮名、2文字、3文字が多い。その軽々さを、老人は軽蔑しがちです。しかし内容を根気よく読んでみると意義深いブログであることが多いのです。ブログ文化圏では外国語を読むつもりで根気が必要です。

以上3つの心の準備をして、ちびたさんのブログを是非ご覧下さい。(終わり)


暗い気持ちになるチベット騒乱

2008年03月26日 | 国際・政治

もう何年も前になるが、ダライ・ラマの側近で桐蔭横浜大教授のペマ・ギャルポ氏の話を聞いたことがある。教養の深い知識人らしく、上品な日本語でチベットが中国に占領されていることの不当性を切々と説いていた。眉毛が濃く、黒目が光る顔が憂愁に沈んでいた。

話はとぶが中村彜画伯のロシア革命で祖国を終われた「エロシェンコ像」の悲しい表情と同じであった。

今回の騒乱をギャルポ氏はどんな思いで見ているのだろうか?

中国がチベットを占領するのは悪であろう。でもそれを非難する資格のある国家は存在するのであろうか?アメリカは武力でメキシコからカルフォルニアを奪い、フィリッピンをスペインから奪い、日本は台湾や朝鮮を奪った歴史を持つ。アメリカが純粋な人道主義から干渉するとしても中国政府が人道主義の意図を正しく理解するであろうか?それはどちらの両国にとっても悲劇である。そしてアメリカが介入することがチベット人にとって幸なのであろうか?かえって中国の武力鎮圧が残酷にならないであろうか?日本からチベットを訪問した記者達は現地の人々の考え方を直接聞くチャンスはあった筈である。何故、それを報道しないのであろうか?北京政府への遠慮であろうか?いろいろな疑問だけが増えて行く。

ロシアやイギリスはどんな目的でどのような方法で介入・干渉するのであろうか?

日本人の我々にはどのようなことが出来るのであろうか?心が暗くなるばかりである。

中国政府が穏健な政策をとるように祈る他はない。悲しいニュースである。

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zebra1192 様、コメント有難う御座います。

2007年12月23日 | 国際・政治

zebra1192 様へ、下記のコメント有難うございます。

同感です。江戸時代の薩摩藩による琉球王朝の搾取ぶり、明治維新のときの琉球処分と併合、太平洋戦争時の地上戦の凄惨なる損害、敗戦後から現在に続くアメリカによる広大な土地の占領、軍事基地化。これら全ては我々日本本土の利害を守るためになされたことです。あまりにも悲劇的な歴史展開に言葉が見つかりません。観光で行っても心から楽しめない原因になっています。

南国の緑の豊かさやサンゴ礁と白い砂洲、そしてあくまでも澄んだ瑠璃色の海の他は話す話題が有りません。人々のことに少しでも触れれば上記の悲劇への言及を避けることが出来ないでしょう。いつかちゃんとした議論を書いてみたいと思います。外国体験のいろいろ(24)のバルチック3国の話も沖縄へ少し似ていると思います。コメントを頂き、有難う御座いました。藤山杜人

コメント

沖縄に行かれた由、小生も一昨年夏に行きました、何も暑い時期にと思いますが、耐暑訓練みたいなものです。でもやはり沖縄は本土(この言い方はまずいのかも)とは何かにつけて違う様に思いました。ある意味エキゾティックなところもあり、もう一度来て見たいとも思いました。でも南部で巡った「平和の礎」とか「ひめゆりの塔」をみるにつけ、沖縄が如何に戦争の辛酸を舐めたか、県民が如何に大きな犠牲を払ったのかが、痛いほど解りました。今平和ボケしてのほほんと暮らしている我々は大いに反省すべきと思いました。「偽」の世の中なんてどう言うことなのですかね。


何故、外国にこだわるか?

2007年11月18日 | 国際・政治

「菊と刀」を読んで衝撃を受けない日本人がいるだろうか?ベネデクト女史は日本を訪問したことが無い。在米の日本人、戦争捕虜と会話を交わし日本人の本質を客観的に淡々と描いている。日本文化の善悪を論じない。自分の好き嫌いを表明しない。事実のみを明快にそして体系的に、どの国の人が読んでも分かるように書いてある。戦後マッカーサーの占領政策へ大きな影響を与えたと言われる本である。

ベネデクト女史が外国の文化や考えかたの善悪を論じないのは何故か?違う地域の文化を比較するのは意味があるが善悪を論ずるのは馬鹿馬鹿しいことだ。と教えているような気がする。太平洋戦争に負けた日本人がアメリカ文化を崇拝していた当時ではこの意味がよく理解出来ない。アメリカのすることはすべて素晴らしい。そんな風潮が戦後、20年位横行していた。しかしアメリカへ留学し住んでみるとアメリカには良いことも悪いことも混在しているという実感を持つ。そうか、それでベネデクト女史は日本人の善悪を論じなかったのか。やっと理解出来た。体験しないと分からないのは人間の一般で恥ずかしいことではない。

そこから「どんな国の文化にも必ず良いとこ悪いとこが混在している」という確信が生まれる。

いきなり話は飛ぶが最近テレビ番組に「ケンミンショー」というものがあり全国の種々な県のおかしな生活習慣を紹介する番組があり笑いが止まらない。この取材態度と編集方針が「菊と刀」のように善悪を押し付けていない。実に良質な笑いである。(この項は続く)