ドイツでの生活は1969年の夏から始まりました。シュツットガルト市にあるマックス・プランク金属研究所で1年3ケ月の研究生活をしました。
シュツットガルトはスイスとフランス南東に近い所です。ですから週末にはスイスのアイガー山麓やレマン湖によく行きました。インターラーケン、ボーデンゼー、シャッハハウゼンなどスイスへ何度も訪ねました。フランス南東部のストラスブルグ市にも旅しました。すべてオペル・レコルトという車で家族旅行をしました。住んでいたシュツットガルト市からここまで車で4時間弱かかりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d7/c3a0a1dce2211ead27324e0831440aaf.jpg)
1番目の写真はアイガーの麓の町のグリンデルヴァルトです。ここに泊りました。ケーブルカーで更に高台に登りアイガーやアルプスの山稜の眺望を楽しみました。グリンデルヴァルトへは下のインターラーケンから登山電車で行ったこともあります。この写真はインターネットからお借りした写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/97/930e987af16f3dd054186771c063bbd2.jpg)
2番目の写真は美しいレマン湖です。住んでいたシュツットガルト市からここまで車で3時間ですので度々訪ねました。
さてスイスへの旅のエピソードを一つだけ書きたいと思います。フランケンシュタインの住んでいそうな民宿に泊まった怖い話です。1970年、夏、チューリッヒのそばの田舎の民宿に泊まったのです。少し遊びすぎてトップリと日が暮れました。田舎道には街灯も無く漆黒の闇。遠方の農家の明かりがかすかに見えるだけです。行けども、行けども民家が無い。やがて貧しげな古風な一軒の民宿があったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/8d/d2e9971848c8559bc3e76a27333733fb.jpg)
3番目の写真は民宿の写真です。
案内を乞うと、ドアが開いて中年の大男が無言で現れる。顔がフランケンシュタインにそっくりなのです。ドイツ語で一泊したいが、と言う。無言で頷き、入れという身振りをする。2階の部屋へ泊まれという。薄暗い部屋には高さ3mもあるような古い洋服ダンスと堅ぎわにベットがある。何か出て来そうな気がしてタンスの方に眼が行ってしまう。フランケンシュタイン一族の子孫は、現在でもスイスに住んでいるとかいう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/34/7341085f18898b23de94a16e1fb8d9a7.jpg)
4番目の写真はフランケンシュタインです。
フランケンシュタインを思い出しながら廊下を見ると、そこにも古風な扉の付いた大きなタンスがある。そっとタンスの扉を開けてみると分厚い本が積んである。表紙を開いてみると人体解剖の図が、色彩鮮やかに多数印刷してある。怖ろしい髑髏や骨格の解説図もあるのです。怖くて眠れない。ウトウトしていたら真夜中になってしまった。民宿は寝静まり物音一つしない。と、廊下の方でギ、ギーと扉が開く音がするではないか。家内も聞いたらしく、起きて見てきてという。意を決して見に行くと重い木のタンスの戸が半分開いている。誰も居ない。うず高く積んだ解剖書があるだけである。力いっぱい戸を閉めてくる。
朝、目が覚め窓から見下ろすと、民宿の娘が向かいのパン屋から棒状のパンを抱えて帰ってくる。朝食は、パン、バター、ジャム、に大きなポットの熱い牛乳とコーヒーだけ。怖い顔の主人が座り、やはり怖い雰囲気の妻と娘が無言で給仕してくれる。ところが給仕の所作が実に丁寧で親切である。いかにも遠方から来た客人をもてなそうとしている気持ちがあふれている。暖かい雰囲気に包まれて質素な食事を楽しみながら、ゆっくりと食べる。朝食後、美味しかった。有難う。と主人へ言うとニャっとして「何処からですか?」、「シュツットガルトから来ました。日本人です。週末にはチューリッヒやボーデンゼーによく来ます」、「また是非ここに泊まって下さい」本当にまた泊まってくださいと心から言ってくれる。何故、昨夜、彼らと話もせず部屋に上がったのが悔やまれる。フランケンシュタインの亡霊を怖がったのがウソのように思う。
今日は美しいスイスの風景写真を示し、フランケンシュタインの住んでいそうな民宿に泊まった怖い話を書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)