後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

林檎、葡萄、水蜜桃、桜桃などは明治維新後初めて日本に来た!

2016年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム






今日はまず初めにここに示した林檎の実がなっている写真をご覧ください。一昨日、群馬県の沼田市の原田農園の林檎畑で撮った写真です。
私はこれらの写真のように大きな赤いリンゴが木になっているのを見ると何故かしみじみ感動するのです。
戦後すぐに何もないころ果物屋の店先に赤く輝く紅玉という林檎が飾ってありました。当時は貴重品です。たまに食べる機会があると甘く、酸っぱい果汁がジューと口中に広がりました。
そしてその後何年かして、長野県の飯田市の街路樹はリンゴの樹という新聞記事を見て興奮したものです。新聞には赤く実った紅玉が街路樹になっている写真が掲載されていました。白黒の写真でしたリンゴの実は赤く見えたのです。

あれ以来もう随分と年月が流れました。
しかし原田農園でリンゴが実っている光景を見ていろいろな思い出が心の中に去来しました。
そして食べられる大きなリンゴは明治時代んも前まで無かったことを思い出しました。
食用になる大きなリンゴは明治維新の後に欧米から導入されたのです。
そこで維新の後に日本に導入された果物を調べてみました。

そうしたら「年表でたどる日本の果物受容史」というブログを見つけたのです。
果物がどのような歴史をたどり、日本に受容され,定着してきたかを知るために纏めてみましたという前文がついたブログでした。
そのアドレスは、http://blog.goo.ne.jp/fruitcul/c/f275a54d6b48ef950941a473fcc8623e です。

このブログを見て少し考え込んでしまいました。内容を私が分かり易く書き直せば良いとも思いましたが、原文のままここに抜粋を転載することにしました。
少し読みにくい文章ですが、原文のままの方が、明治時代にいろいろな果物の苗を日本へ導入した先人たちの熱い息づかいが感じられると思ったからです。
・・・原文の抜粋を示します・・・・・・・・・・・・・・・・

◇現青森県弘前市の藤田半左衛門(後に息子・久次郎経営),藤田葡萄園を開園し,葡萄 酒醸造. *当地に寄留の外人アルヘーから指導を受けたといわれる.
◇岩手県のリンゴの始祖の1人・横浜慶行の紅魁(アストラカン),見事な大果数果を初結 果し,人々を驚嘆させる.翌9年には数十果の結実をみる(『岩手りんご100年のあゆみ』).◇勧業寮,中国から天津水蜜桃,上海水蜜桃,蟠桃(はんとう)の苗木を輸入.
 *在来種のモモは観賞用の花モモとして栽培されており,食用にはほとんどされなかっ  たという.
◇勧業寮,旧長野県へ12種346本,筑摩県へ11種39本の果樹苗木を配布.
 *新・長野県は1876年8月21日発足,筑摩県は廃止(一部岐阜県に編入).
◇前田正名(1850~1921),フランスからリンゴの苗木を輸入.

1876年(明治9)
◇2ー8 「横浜新聞」に,大阪府でも西洋の果物を栽培することになり,アンズ,モモ, サクランボ,リンゴ,ブドウなどを東京から輸送したとの記事がみえる.
◇4ー13 「朝野新聞」に,新宿で栽培されたリンゴ,アンズ,ナシ,スグリ,イチゴ などを,希望者に払い下げる広告がみえる.
◇8ー14 札幌農学校開校.アメリカのマサチューセッツ州立農科大学学長ウイリアム・ エス・クラーク(1826~86),初代教頭として就任.
  *クラークが実際に教育にあたった期間は1876年8月から翌年4月までのわずか8ヵ月
すぎなかったが,学生に与えた影響はきわめて大きかった。・・・・以下省略

この原文を読むと明治維新の重要性が良く判ります。よく富国強兵だけが強調されますが、実は人々の食生活が豊かに楽しくなるように種々の果物を移植したのです。
果物だけではありません。トマトもジャガイモもキャベツもニンジンも欧米から移植栽培されてのです。
その一方、明治維新の結果、軍備が拡大、強化されました。日清、日露の戦争を経て第二次世界大戦で日本は壊滅したのです。それは維新後、78年目の大きな悲劇でした。

しかし明治維新後導入されたいろいろな果物や農作物は現在でも私共の食生活を楽しいものにしてくれるのです。
現在よく食べている林檎、葡萄、水蜜桃、桜桃(サクランボ)などは明治以降初めて日本に来たのです。
明治維新後、149年経過しても果物と農作物はますます私共を幸せにしてくれているのです。何か植物の力の永遠性を感じます。
地球上の動物の生命は植物によって支えられているのです。そんなことをあらためて深く認識したのです。原田農園の林檎畑の中を散歩したお陰です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)