ヨットを23年間、霞ヶ浦の土浦港に係留して帆走の趣味を楽しみました。
今日はまず自分のヨットの写真をご紹介したいと思います。そしてヨットの構造に込められた西洋人の知恵と情熱に驚いたたことを書きたいと思います。西洋の帆船と日本の北前船に代表される帆船との根本的な違いに愕然となったのです。
この帆船の構造と性能の違いこそが西洋人が世界中に植民地を所有する原動力になったのです。
1番目の写真は小さなキャビンを持ったヤマハ19というヨットです。長さ19フィートの約5m70cmありました。
1988年3月に琵琶湖湖畔の雄琴の藤田マリンから100万円で購入しました、霞が浦へは陸送しました。進水後7年の中古です。
藤田マリンの若いご主人が つくば水郷汽船マリーナまでトラックに乗って来てくれ、マストを立てステイ類をピンと張って帰って行きました。つくば水郷汽船マリーナのクレーンで水に浮かべ早速帆走の仕方をマリーナの佐藤敏雄さんに教わりました。彼にはそれから23年間お世話になりました。
2番目の写真は霞ヶ浦の土浦港の風景です。私のヨットは右側の岸壁に係留しました。茨城県の港湾局が管理する岸壁なので係留料金が年間20000円と安かったので非常に助かりました。もう一つ良いことは岸壁に車が入れ、ヨットの前に何日でも駐車出来たことです。
3番目の写真は土浦港の中を帆走している私のヨットです。
最初のヤマハ19に10年間乗ったあとにジョイラック26というヨットに13年間乗りました。この写真のヨットはジョイラック26です。長さ26フィートの約7m80cmありました。
4番目の写真は港から沖に出た時の風景です。ジョイラック26のコックピットから撮った写真です。霞が浦は日本で2番目に大きな湖で幅8Km、東西の長さが40Kmもあり帆走には充分の広さがあります。霞が浦から利根川に出て銚子まで下ると太平洋に行けます。そうして九州や沖縄まで帆走する人もいましたが私にはそんな元気はありませんでした。
5番目の写真はジョイラック26のキャビンの中の料理コーナーの写真です。
流しと2口コンロがついています。
夜になれば港に係留して、キャビンで簡単な料理を作ってビールを飲みます。
眠くなったら、そのままキャビンのベンチに蒲団を敷いて寝ます。家内と寒い冬でも泊まりました。お正月には重箱のお節料理を持ちこんで家内と食べて帰ってきたこともあります。
普通は一人でビールを楽しみますが、たまには昔の同級生やヨットで知り合った友人を招待して一緒にキャビンやデッキでパーティをします。一緒にレースにも参加します。
閑話休題。思い出話は止めて、驚異的な西洋の帆船の構造と性能をご紹介したいと思います。
西洋の帆船には、次のように日本の帆船に無い大きな2つの特徴があります。
(1)竪型の三角形の帆が付いていて風上45度まで登れる。
(2)船底に非常に重いキールがついていて転覆しても自分の復元力で起き上がれる。
そして帆船の甲板の下は全て気密な空間になっていて、幾つかの船室になっているのです。
西洋の帆船が風上に登れる性能を持っていたことが決定的な違いでした。
日本の北前船は四角形の帆しか上げなかったので絶対に風上には登れなかったのです。
今日示した3番目と4番目の写真のヨットは風上45度に登っている時の写真です。
写真のような形の帆にすると帆の外側を通過する風の速度が内側より大きくなり帆を前方へ引きつけます。これは飛行機の翼が揚力を生む原理と同じなのです。これを学問的にはベルヌーイの定理と言います。
理屈ではなかなか理解が困難ですが、実際にヨットを風上へ走らせると実感として納得出来るのです。
しかし風に真正面から向かうことは不可能です。あくまでも45度の方向です。船の方向を変えながらジグザグに進めば結果として風に真正面から登ったことと同じになります。
このようにして西洋人は大型帆船で、逆風が吹いても大西洋を横断して南米の植民地を領有し、アメリカ合衆国を作り上げたのです。
結論です。前の記事にある日本丸の写真を見ると横型の四角形の帆と竪型の三角形の帆が付いています。四角形の帆は追い風を受けて風下へ疾走するための帆です。竪型の三角形の帆は風上へ登るための帆です。帆船の秘密兵器はこの竪型の三角形の帆なのです。
このような理屈はいくら読んでも分かり難いものです。それには大型帆船に乗って体験すれば感覚的に納得するのです。
帆船「みらいへ」は、日本で唯一、一般の人が自由に乗ることができる帆船です。
詳しくは、http://www.miraie.org/ をご覧下さい。この帆船は神戸港を基地として瀬戸内海を走り、太平洋に出ます。そこで竪型の三角形の帆を多数装着して、狭い海峡も帆走で通れるような帆の設計になっていることにご注目下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日はまず自分のヨットの写真をご紹介したいと思います。そしてヨットの構造に込められた西洋人の知恵と情熱に驚いたたことを書きたいと思います。西洋の帆船と日本の北前船に代表される帆船との根本的な違いに愕然となったのです。
この帆船の構造と性能の違いこそが西洋人が世界中に植民地を所有する原動力になったのです。
1番目の写真は小さなキャビンを持ったヤマハ19というヨットです。長さ19フィートの約5m70cmありました。
1988年3月に琵琶湖湖畔の雄琴の藤田マリンから100万円で購入しました、霞が浦へは陸送しました。進水後7年の中古です。
藤田マリンの若いご主人が つくば水郷汽船マリーナまでトラックに乗って来てくれ、マストを立てステイ類をピンと張って帰って行きました。つくば水郷汽船マリーナのクレーンで水に浮かべ早速帆走の仕方をマリーナの佐藤敏雄さんに教わりました。彼にはそれから23年間お世話になりました。
2番目の写真は霞ヶ浦の土浦港の風景です。私のヨットは右側の岸壁に係留しました。茨城県の港湾局が管理する岸壁なので係留料金が年間20000円と安かったので非常に助かりました。もう一つ良いことは岸壁に車が入れ、ヨットの前に何日でも駐車出来たことです。
3番目の写真は土浦港の中を帆走している私のヨットです。
最初のヤマハ19に10年間乗ったあとにジョイラック26というヨットに13年間乗りました。この写真のヨットはジョイラック26です。長さ26フィートの約7m80cmありました。
4番目の写真は港から沖に出た時の風景です。ジョイラック26のコックピットから撮った写真です。霞が浦は日本で2番目に大きな湖で幅8Km、東西の長さが40Kmもあり帆走には充分の広さがあります。霞が浦から利根川に出て銚子まで下ると太平洋に行けます。そうして九州や沖縄まで帆走する人もいましたが私にはそんな元気はありませんでした。
5番目の写真はジョイラック26のキャビンの中の料理コーナーの写真です。
流しと2口コンロがついています。
夜になれば港に係留して、キャビンで簡単な料理を作ってビールを飲みます。
眠くなったら、そのままキャビンのベンチに蒲団を敷いて寝ます。家内と寒い冬でも泊まりました。お正月には重箱のお節料理を持ちこんで家内と食べて帰ってきたこともあります。
普通は一人でビールを楽しみますが、たまには昔の同級生やヨットで知り合った友人を招待して一緒にキャビンやデッキでパーティをします。一緒にレースにも参加します。
閑話休題。思い出話は止めて、驚異的な西洋の帆船の構造と性能をご紹介したいと思います。
西洋の帆船には、次のように日本の帆船に無い大きな2つの特徴があります。
(1)竪型の三角形の帆が付いていて風上45度まで登れる。
(2)船底に非常に重いキールがついていて転覆しても自分の復元力で起き上がれる。
そして帆船の甲板の下は全て気密な空間になっていて、幾つかの船室になっているのです。
西洋の帆船が風上に登れる性能を持っていたことが決定的な違いでした。
日本の北前船は四角形の帆しか上げなかったので絶対に風上には登れなかったのです。
今日示した3番目と4番目の写真のヨットは風上45度に登っている時の写真です。
写真のような形の帆にすると帆の外側を通過する風の速度が内側より大きくなり帆を前方へ引きつけます。これは飛行機の翼が揚力を生む原理と同じなのです。これを学問的にはベルヌーイの定理と言います。
理屈ではなかなか理解が困難ですが、実際にヨットを風上へ走らせると実感として納得出来るのです。
しかし風に真正面から向かうことは不可能です。あくまでも45度の方向です。船の方向を変えながらジグザグに進めば結果として風に真正面から登ったことと同じになります。
このようにして西洋人は大型帆船で、逆風が吹いても大西洋を横断して南米の植民地を領有し、アメリカ合衆国を作り上げたのです。
結論です。前の記事にある日本丸の写真を見ると横型の四角形の帆と竪型の三角形の帆が付いています。四角形の帆は追い風を受けて風下へ疾走するための帆です。竪型の三角形の帆は風上へ登るための帆です。帆船の秘密兵器はこの竪型の三角形の帆なのです。
このような理屈はいくら読んでも分かり難いものです。それには大型帆船に乗って体験すれば感覚的に納得するのです。
帆船「みらいへ」は、日本で唯一、一般の人が自由に乗ることができる帆船です。
詳しくは、http://www.miraie.org/ をご覧下さい。この帆船は神戸港を基地として瀬戸内海を走り、太平洋に出ます。そこで竪型の三角形の帆を多数装着して、狭い海峡も帆走で通れるような帆の設計になっていることにご注目下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)