佛教でもキリスト教でも、イスラム教でも、とにかく宗教というものに少しでも関心のある方はお茶の水のニコライ堂の日曜礼拝を一度はご覧下さい。本を幾ら読んでも分からない宗教の本質的な部分が簡単に理解できます。
日曜礼拝のことを日本正教会では「聖体礼儀」と言います。きらびやかな聖職者の行列と美しい宗教音楽の極致のような混声合唱で神への崇拝を示しています。人間の神を敬う深さを儀式で示すとこのようになるのです。宗教の全てに普遍的な神への憐れみを願う儀式です。キリストの聖なる体の一部を(聖体)を頂くという儀式です。
日本正教の聖体礼儀は2000年前のキリストの生きていた頃のユダヤ教の礼拝式の形式を墨守してきたのです。新約聖書は始めはギリシャ語で書かれたのです。そのギリシャ語の原典に書いてある内容を忠実に教えています。キリスト教の正統的な宗派なので正教と言います。
この宗派はギリシャからビザンチンへそしてロシアへ伝わって、1855年函館へ上陸しました。日露戦争の時、ロシア本部から独立し、日本に根付いて日本正教会という宗教法人になりました。しかし教義と礼拝形式は2000年前の通り、一切の変更無しで、まったく同じなのです。宗教の本質の一つは「永遠に変わらない」という性質を含んでいます。そのことを礼拝式を実見して体験できるのです。
しかし、少しでも宗教に関心のある人はヨーロッパで起きた宗教改革のことを知っています。各国の近代化革命も共産主義革命も知っています。アメリカ流の自由と平等な民主主義も知っています。そのような極く普通の常識人がニコライ堂の日曜礼拝を見ると非常に大きなショックを受けるかも知れません。そこには聖職者と合唱隊と平信徒の恐ろしい差別があります。神に祈る儀式の大部分は聖職者だけがします。合唱がそれを助けます。平信徒は黙って祈るだけです。
昔、ロシアには貴族と農奴しか居ませんでしたと聞きます。農奴は文盲でしたから祈祷書は読めません。代わりに聖職者が全て読みます。そんな封建時代の圧政を連想させるのです。正直に言えば、見てはいけないものを見てしまったような暗然とした気分になりました。でも次の瞬間、気が付きました。それは自分の勘違いで、会堂全体にイエス様の笑顔が見えるようです。マリア様の優しい眼差しが見えます。壁に掛けた無数のイコンのマリア様は微笑んでいるのです。
儀式の見かけ上の荘厳さは人間の弱さの表れなのかも知れません。堅苦しい儀式が、実は自分の郷里の実家に帰った時のように寛いだものに感じられるのです。
普通の日本人がニコライ堂の日曜礼拝をみるとき一番重要なことは、儀式の豪華さや厳粛さの中に漂う「マリア様の優しさ」や「イエス様の慈しみ」を想像しながら見ることと思います。
すると場違いな所に来たという感じや違和感が消えてなくなります。心から楽しめます。宗教というものに少しでも関心のある方は是非一度、ニコライ堂の日曜の聖体礼儀をご覧下さい。本には書いてない色々なことをご発見出来ると思います。
今日は日曜日なので私どもはカトリック小金井教会のミサにいきます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
写真は東京のお茶の水にあるニコライ堂で撮りました。
下記の記事は上の記事に関連した記事の一覧です。
(1)投稿日 2014年04月30日 趣味としての宗教あれこれ(7)お茶の水のニコライ堂へ遊びに行く
(2)投稿日 2009/11/30 豪華絢爛な音楽ページェントが予約申し込み無しで気軽に楽しめます
(3)投稿日 2009/11/29 今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました (金田さんの写真が出ています!)
(4)投稿日 2009/11/25 日本正教会、伝教師、金田一豊、著「なぜローマカトリックから正教会へ帰正(改 宗)したのか」
(5)2009/11/23日本正教会、伝教師、金田一豊、著「ローマカトリック教会と正教会との教義の3つの違い」
(6)投稿日 2009/11/22 お茶の水のニコライ堂での日曜の礼拝に一般の人々も参加できます
(7)2009/11/10ニコライも偉かったが、明治の日本人も偉かった!
(8)投稿日 2009/11/09 ブログを書くための私の取材方法と写真の組み合わせ方
(9)2009/11/08私の記事は間違っていました!ロシア正教と書いたのは日本正教会です
(10)009/11/07ロシアから来た偉大な宣教者、ニコライをもっと知ろう!
(11)2009/11/06日本人のロシアへの感情とロシア正教の布教の関係
(12)投稿日 2009/11/04 ニコライ堂でロシア正教のある聖職者に偶然お会いできました
日曜礼拝のことを日本正教会では「聖体礼儀」と言います。きらびやかな聖職者の行列と美しい宗教音楽の極致のような混声合唱で神への崇拝を示しています。人間の神を敬う深さを儀式で示すとこのようになるのです。宗教の全てに普遍的な神への憐れみを願う儀式です。キリストの聖なる体の一部を(聖体)を頂くという儀式です。
日本正教の聖体礼儀は2000年前のキリストの生きていた頃のユダヤ教の礼拝式の形式を墨守してきたのです。新約聖書は始めはギリシャ語で書かれたのです。そのギリシャ語の原典に書いてある内容を忠実に教えています。キリスト教の正統的な宗派なので正教と言います。
この宗派はギリシャからビザンチンへそしてロシアへ伝わって、1855年函館へ上陸しました。日露戦争の時、ロシア本部から独立し、日本に根付いて日本正教会という宗教法人になりました。しかし教義と礼拝形式は2000年前の通り、一切の変更無しで、まったく同じなのです。宗教の本質の一つは「永遠に変わらない」という性質を含んでいます。そのことを礼拝式を実見して体験できるのです。
しかし、少しでも宗教に関心のある人はヨーロッパで起きた宗教改革のことを知っています。各国の近代化革命も共産主義革命も知っています。アメリカ流の自由と平等な民主主義も知っています。そのような極く普通の常識人がニコライ堂の日曜礼拝を見ると非常に大きなショックを受けるかも知れません。そこには聖職者と合唱隊と平信徒の恐ろしい差別があります。神に祈る儀式の大部分は聖職者だけがします。合唱がそれを助けます。平信徒は黙って祈るだけです。
昔、ロシアには貴族と農奴しか居ませんでしたと聞きます。農奴は文盲でしたから祈祷書は読めません。代わりに聖職者が全て読みます。そんな封建時代の圧政を連想させるのです。正直に言えば、見てはいけないものを見てしまったような暗然とした気分になりました。でも次の瞬間、気が付きました。それは自分の勘違いで、会堂全体にイエス様の笑顔が見えるようです。マリア様の優しい眼差しが見えます。壁に掛けた無数のイコンのマリア様は微笑んでいるのです。
儀式の見かけ上の荘厳さは人間の弱さの表れなのかも知れません。堅苦しい儀式が、実は自分の郷里の実家に帰った時のように寛いだものに感じられるのです。
普通の日本人がニコライ堂の日曜礼拝をみるとき一番重要なことは、儀式の豪華さや厳粛さの中に漂う「マリア様の優しさ」や「イエス様の慈しみ」を想像しながら見ることと思います。
すると場違いな所に来たという感じや違和感が消えてなくなります。心から楽しめます。宗教というものに少しでも関心のある方は是非一度、ニコライ堂の日曜の聖体礼儀をご覧下さい。本には書いてない色々なことをご発見出来ると思います。
今日は日曜日なので私どもはカトリック小金井教会のミサにいきます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
写真は東京のお茶の水にあるニコライ堂で撮りました。
下記の記事は上の記事に関連した記事の一覧です。
(1)投稿日 2014年04月30日 趣味としての宗教あれこれ(7)お茶の水のニコライ堂へ遊びに行く
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(3)投稿日 2009/11/29 今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました (金田さんの写真が出ています!)
(4)投稿日 2009/11/25 日本正教会、伝教師、金田一豊、著「なぜローマカトリックから正教会へ帰正(改 宗)したのか」
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