後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ウクライナの野山に咲く花々の写真」

2022年05月11日 | 写真
ウクライナの都市はロシアの攻撃で荒廃していますが、野山には花々が咲いています。その写真です。
出典は次です。
https://jp.123rf.com/photo_27975171_%E6%98%A5%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%AE%E8%8D%89%E5%8E%9F%E3%80%82%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%AE%E6%88%90%E5%88%86%E3%80%82.html





「黄色と青のウクライナ国旗の色のチューリップと電車」

2022年05月11日 | 写真
(1)オランダのはなし
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_627715e0e4b00fbab62f2fa8
花の国として知られるオランダで、春を代表する花・チューリップが“ウクライナカラー”に染められ、SNSで注目を集めた。
オランダで花の色彩加工などを行う会社「Hoven & de Mooij B.V.」が3月上旬、青と黄色に染めたチューリップとバラの画像をFacebookに投稿。この会社の別の投稿では「ウクライナの人々に思いを寄せています」とあります。

(2)日本のはなし

「命がけで働く鉄道員の皆さんを応援したい」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/kotoden_jp_625e0245e4b066ecde167890
香川県の私鉄「高松琴平電気鉄道」で、ウクライナの国旗に合わせたラッピングの車両の運行が、4月19日から始まった。
担当者は、ハフポスト日本版の取材に「人々のために命がけで働いているウクライナの鉄道事業者の皆さんを少しでも応援できたら」と話している。
ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって1カ月半近くたつが、国営ウクライナ鉄道は激戦地の東部、南部を除いて列車の運行を続けている。
殉職する鉄道員が相次ぐ中、ポーランドやスロバキアの国境付近まで、約370万人もの避難民を運ぶ。折り返しの列車では、食料品など援助物資を国内各地に届けている。
ウクライナの鉄道員の命がけの働きを応援するために、「高松琴平電気鉄道」はウクライナ国旗の列車を走らせることになったという。




「北海道のロマン(4)荒涼とした最果てのトドワラ、ナラワラへの旅」

2022年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム
北海道の東部根室市の北に、多量のサケの遡上で有名な標津川(シベツガワ)があります。その南に幅が数十メートルから数百メートルしか無い砂洲で出来た野付半島が、湾曲しながら26kmも伸び野付湾を囲んでいます。砂洲の上には舗装道路が延々と続き、野付灯台まで車で入れます。
そして野付灯台の手前にはトドワラとナラワラという枯れたトドマツの原とナラの原が広がっている場所があります。地盤沈下で海水に漬かってしまったトドマツの木とナラの木が枯れて、白い骸骨のように立っています。不気味です。
その白骨のような林が野付湾を一層荒涼とさせています。人間の住む世界ではありません。
しかし野付湾には美味しい縞エビが棲んでいて、夏と秋にはその味を楽しむことが出来ます。

今日は荒涼とした最果てのトドワラ、ナラワラの不気味な風景と野付湾の縞エビ漁の白帆の打瀬帆舟の写真をご紹介したいと思います。そしてそこから見える国後島への想いを記しました。
まず下にの野付湾の全体の風景写真を示します。

1番目の写真は野付湾です。この野付湾の写真の出典は、http://betsukai.jp/blog/0001/archives/2009/06/images/1245371831.jpg です。
写真のような野付湾を右手に見ながら細い砂洲の上の舗装道路をえんえんと辿って行くとやがて右手にナラワラがあります。下にその光景を示します。

2番目の写真は自分が撮ったナラワラの光景です。よく見ると写真のようにナラ林全てが立ち枯れになっている場所です。ナラワラを通り過ぎ、野付灯台の傍まで行くと立派なビジターセンターがあります。
その駐車場に車を停めて、ハマナスの紅い花と実を見ながら、ぬかるみの小道を1.2kmほど歩くとトドワラがあります。下の写真です。

3番目の写真は家内が撮ったトドワラです。立ち枯れたトドマツの木があります。木道は高く狭いので、強い海風が吹き付けると落ちそうになり怖かったそうです。

4番目の写真は木道の先端から見た荒涼としたトドワラの風景です。家内が撮った写真です。
トドワラのある半島を野付半島と言いますが、その内側は野付湾と言います。地元では尾岱沼(おだいとう)と呼んでいます。その野付湾では帆舟の打瀬帆舟による縞エビ漁が盛んなのです。
初夏と秋が北海シマエビ漁の猟期です。舟の舳先から船尾にかけて幅の広い網を海中に降ろし、船を横向きにして幅広い網を帆の受ける風の力で静かにゆっくり引っ張って行くのです。雄大な海の中に浮かんだ白帆の風景が素晴らしいのです。

5番目の写真は北海シマエビ漁の打瀬帆舟です。出典は、http://ugk70671.blog117.fc2.com/blog-entry-282.html です。夏漁は例年6月中旬~7月中旬で、秋漁は例年10月中旬~11月上旬です。

6番目の写真は野付湾に散らばった打瀬帆舟のの風景です。この打瀬帆舟の風景は季節の風物詩として有名なのです。出典は、http://www.hokkaidolikers.com/articles/180 です。
ビジターセンターに戻って、シマエビ定食を昼食として食べました。茹でたシマエビが美味しかったです。

この野付半島の向かい側、16km沖にはロシア領の国後島があります。戦前は日本領だったので野付港は国後島の町や村に行く船の発着場として賑わっていました。
訪れたビシターセンターの2階には昔日本領だった択捉島や国後島の町や村落の写真が沢山置いてあります。丁寧に見て行くと択捉・国後には多くの日本人が住み、鮭やニシンを取っていたことが判ります。

7番目の写真は野付半島のビシターセンターの2階から家内が撮った国後島です。日本人の先祖代々のお墓も沢山残っているに違いありません。ロシアは返還しません。
墓参りくらいは行けるのでしょうか?そんな事を考えながら砂洲にに伸びた道を帰って来ました。

今日は荒涼とした最果てのトドワラ、ナラワラの不気味な風景写真と野付湾の縞エビ漁の帆船の写真をご紹介しました。そしてそこから見える国後島への想いを記しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。後藤和弘(藤山杜人)