小樽は哀愁漂う古い街です。旧懐の情をかきたてる街です。そんな雰囲気に誘われて何度も訪れました。
小樽市は江戸時代には松前藩の商業港として栄えた古い町です。札幌の海の玄関口でした。小樽港は開拓民の上陸や物資陸揚げの港だったのです。
しかし青函トンネルが出来、函館と札幌間の鉄道が完成すると忘れられた町になったのです。それ以前の小樽は北海道経済の中心都市として発展していたのです。小樽には明治、大正や昭和初期の建物が並んでいます。
そんな歴史があるので小樽は何度行っても旧懐の情や哀愁の情が掻き立てられます。郷愁というかノスタルジアというか、心の奥の方に赤い火がポッと灯ります。
今日は小樽の風景写真と小樽で育った小林多喜二の『蟹工船』をご紹介したいと思います。写真は2010年の6月17日の夕暮れに家内が撮りました。
1番目の写真は小樽の運河です。大きな貨物船を沖に止めて伝馬舟で物資を運んだ運河です。
2番目の写真も運河です。運河にそって大きな倉庫が並んでいます。貨物船で運ぶ物資を保管していた倉庫です。昔は小樽が北海道の玄関だったのです。
3番目の写真は明治時代に役所だった建物です。旧懐の情が湧いてきます。
4番目の写真は昔ホテルだった建物です。1階だけが観光客のための土産物屋になっていました。
5番目の写真は小樽のあちこちにある石造りの倉庫です。1階だけが菓子屋になっていました。
写真で示した古い雰囲気の街を丁寧に歩きまわりました。そして昼食にある寿司屋に入りましました。
店の中を何気なく見回すと壁に小林多喜二の写真や彼の資料の写真が貼ってあるのです。聞くと小林多喜二がよく来た店だったのです。
小説の『蟹工船』を書いた小林多喜二は小樽に住んでいたのです。そんな訳で小林多喜二のことを少し書きたいと思います。
小林多喜二は1903年10月13日、秋田県に生まれ4歳のときに一家で小樽に移住し小樽で育ち作家として立ちました。プロレタリア文学の旗手と目され1930年に上京、翌年、当時非合法であった日本共産党に入党、困難な地下生活を余儀なくされながらも旺盛に執筆活動を展開しました。そして特高に逮捕されひどい拷問を受け、1933年2月20日に29歳で没しました。日本にはそんな暗い時代があったのです。1933年といえば昭和9年です。日中戦争が始まる直前です。そして太平洋戦争画が続いたのです。
さて『蟹工船』のあらすじです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9F%B9%E5%B7%A5%E8%88%B9 )
蟹工船とは、戦前にオホーツク海のカムチャツカ半島沖海域で行われた北洋漁業で使用された船です。
漁獲したカニの加工設備を備えた大型船です。搭載して行った小型船でたらば蟹を漁獲し、ただちに蟹工船で蟹を缶詰に加工するのです。その一隻の「博光丸」が小説の舞台です。
蟹工船は「工船」であって「航船」ではないのです。だから航海法は適用されず、危険な老朽船を改造して投入されたのです。また工場でもないので、労働法規も適用されなかったのです。
蟹工船は法規の真空地帯であり、船内では、東北一円の貧困層から募集した出稼ぎ労働者が過酷な条件で働いていました。資本者側の非人道的酷使がまかり通っていたのです。またロシアを警戒する日本の国策から北洋漁業振興を支援し、政府も資本者側と結託して事態を黙認する姿勢でした。
情け知らずの監督である浅川は労働者たちを人間扱いせず、彼らは過酷な労働環境の中で酷使します。労働者は暴力、虐待、過労や病気で次々と倒れて行きます。
転覆した蟹工船をロシア人が救出したことがきっかけで日本人労働者は異国の人も同じ人間と感じるのでした。そしてロシア人から「プロレタリアートこそ最も尊い存在」と教わるのです。しかし日本人の船長がそれを「赤化」とみなします。
当初は無自覚だった労働者たちはやがて権利意識に覚醒し、指導者のもとストライキ闘争に踏み切ります。会社側は海軍に無線で鎮圧を要請し、派遣されてきた駆逐艦から乗り込んできた水兵にスト指導者たちは逮捕されます。こうして最初のストライキは失敗に終わったのです。労働者たちは作戦を練り直し、再度のストライキに踏み切るのでした。・・・以下省略。
こんな小説を現在読む人はあまりいません。日本の暗い時代の歴史を知って頂くためにご紹介しました。なお小林多喜二の資料の常設展示は小樽文学館にあります。(http://otarubungakusha.com/past/200302398 )
小林多喜二は死の間際まで執筆活動を続けました。それにしても彼の作品の中に込めた弱者救済の思想は現代社会においても通じるものがあると思います。
今日は曾遊の地、小樽の6月の風景をお送り致しました。そして小樽で育った小林多喜二の「蟹工船」をご紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)