後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「南米移民に行っ友人の思い出とアルゼンチナ丸と氷川丸」

2025年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
仙台の中学、高校時代に水元君という友人がいました。伊達政宗の霊廟のある山の下のお霊屋下という名前の町に住んでいました。父は戦死して母と二人で暮らしていました。
色白の優しい中学生でした。何度も彼の家に遊びに行きましたが母は働いていて会ったことはありません。水元君の傍に居ると平和な気分になるのです。
中学を卒業すると仙台の繁華街にある相沢眼鏡店で働き始めました。私は高校生になりましたが水元君に会う為に相沢眼鏡店へ何度も遊びに行きました。
優しい彼を他の店員も大切にしていたらしく私が遊びに行ってもそれとなく歓迎してくれたのです。
ある時何時ものように店に遊びに行った私に、水元君は母と一緒に南米へ移民することにしたと告げたのです。平静な話しぶりに決心の固さが判りました。彼は悲しそうにもう会えないが元気でねと言います。
翌月、相沢眼鏡店に行ったら水元君の姿はありませんでした。他の店員が南米へ行ってしまったと言います。私の少年の頃の悲しい思い出です。
あれから70年近くたちましたが私は水元君と相沢眼鏡店を忘れません。

そんな思い出があったので私は折に触れて南米移民のことや水元君が乗って行った船のことを調べてきました。
そこで移民船として使われたアルゼンチナ丸と氷川丸をご紹介したいと思います。

1番目の写真はアルゼンチナ丸の1962年の勇姿です。パナマ運河の向こうの南米沖で撮った写真です。水元君の乗って行った船の名前は知りませんが、この船だったかもしれません。

アメリカ留学の時お世話になった黒田さんはアルゼンチナ丸に乗ってアメリカに来たそうです。移民と一緒だったので窓もない船倉の大部屋だったそうです。
写真の出典は、http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1571  です。

2番目の写真は南米への移民を乗せて横浜港を出航する氷川丸です。沢山の見送り人が移民する人に今生の別れをしている光景です。水元君もこうして横浜港を出たのでしょうか。

3番目の写真は現在横浜港に係留し公開されている氷川丸です。
この船も戦後、南米への移民船として使用されました。そして移民と一緒にアメリカへの留学生も運んだのです。この写真は私が撮りました。

私は時々昔の友人の水元君のことを思い出します。何故か思い出すのです。今朝も思い出したのでこんな記事を書いたのです。
皆様は昔の友人たちのことを思い出しますか。きっと時々思い出すでしょう。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



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