私は昔、アメリカ人とよく一緒にビールを飲みました。いろいろな話題で討論しました。兎に角彼等は討論が好きなのです。そして討論の中に彼等の本音が出て来ますのでアメリカ文化の奥底が見えるようで面白いのです。
そんな折、彼等にいくら丁寧に説明しても理解して貰えない感じ方がありました。「もののあはれ」を感じる事です。それを感じると、天然自然の妙に感動し、生きて居る草花や虫や動物を大切にし、自分も感謝しつつ毎日を静かに生きるのです。
「もののあはれ」を検索すると以下のように出ています。
「折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や哀愁。日常からかけ離れた物事(=もの)に出会った時に生ずる、心の底から「ああ(=あはれ)」と思う何とも言いがたい感情。」
これを英語にしてアメリカ人へ理解するように説明出来るでしょうか?
このような感じ方は日本人固有の基調低音の一つと思います。
話は飛びますが、この「もののあはれ」を背負って写真を撮り、命に感謝する文章をあれこれ書いたブログがあります。
ちひろさんのブログhttp://blog.goo.ne.jp/hanafubuki33です。12月19日の「孤悲」という記事をご覧下さい。(下にその文章に添えられている写真を示します)
自然の景観に触発されて、しみじみとした文章を書きます。哀愁が漂った文章ですが、生きることへの感謝が書き込んであります。生きる喜びと勇気を感じます。
とても日本的なブログです。政治も社会問題も藝術も話題にしません。ただひたすらに「もののあはれ」を感じさせる草花、昆虫、鳥、紅葉、お寺のたたずまい、琵琶湖の水面の揺らぎ、風の動きを写真に撮ろうとしています。
それはそれとして、貴方は「もののあはれ」をお感じになることがあるでしょうか?
それを日本人の心の底に住み着いた「基調低音」の一つと私は思っています。
今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
本当は誰よりも強く政治や社会問題への憤りを胸に秘め(戦争遺児の立場で)、芸術への情熱(日本舞踊)を秘めています。
東京の国会議事堂へ幾度も足を運びました。平和を願いまた一方で粋を追求してまいりました。何事もハングリー精神の中から芽生えてくるものだと・・・特に喜びも悲しみも社会の底辺に生きてこそ感じられることだと・・・あわれを体験してこそあわれ(命)を理解できるのではないでしょうか。
若い頃は飲むと議論を交わすのが好きでした・・・イメージダウンになりましたらお許しくださいませ。 ちひろ 拝
コメント有難う御座いました。
イメージダウンどころか、益々尊敬いたして居ます。
そのような事を一切書かないという自制のきいたブログなので、写真としれに合致した内容の文章が一層いきいきするのですね。
名人芸のようなちひろさんのブログに感動しています。
有難うございました。そのうち、又お写真をお貸しくださいね。
敬具、藤山杜人