時が止まったような村や町の風景を見るといろいろなことを思い浮かべます。人々が活き活きと生き、そして死んで行きます。
しかし古い農家とその周囲の風景は変わりません。古い宿場町の家並みの風景はシーンとして静かに時を刻んでいるだけです。
以前の奈良井宿への旅で、その家並みの中を歩きながら人の生き死にの儚さを考えていました。
写真をお送りします。
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1番目と2番目の写真はその時撮った中山道の奈良井の宿です。江戸時代の宿場町がそのまま保存してあります。
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3番目と4番目の写真は中山道の奈良井宿から南に行った場所にある妻籠の宿場町の風景です。数年前に3度ほど行きました。
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3番目と4番目の写真の出典は、「自分を探す旅 見つめ直す旅 」というブログです。素晴らしい旅行記のブログです。
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5番目と6番目の写真は中山道をさらに南に行った所にある馬籠の宿場町です。馬籠の宿場町へも3度ほど行きました。
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5番目と6番目の写真の出典は、http://www.livedo.net/tabi/276.html です。
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7番目の写真は庄屋をしていた馬籠の島崎藤村の生家です。
以上のような奈良井宿や妻籠宿や馬籠宿は全て険しい山の谷に沿った危険な道でした。ここには11の宿場町がつらなっていました。
木曽福島の厳重な関所の先の峠までは木曽川に沿い、分水嶺の奈良井の峠を越すと日本海へ注ぐ川に沿っています。
その中山道の険しさは島崎藤村の「夜明け前」の序文に描かれていますので、下にご紹介します。
出典は、http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/1504_14585.html です。
・・・島崎藤村の「夜明け前」の序文・・・
木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖がけの道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
東ざかいの桜沢から、西の十曲峠まで、木曾十一宿はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間に埋うずもれた。名高い桟も、蔦のかずらを頼みにしたような危い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降くだって来た。道の狭いところには、木を伐きって並べ、藤づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫が旅行を困難にする。そのたびに旅人は最寄り最寄りの宿場に逗留して、道路の開通を待つこともめずらしくない。
この街道の変遷は幾世紀にわたる封建時代の発達をも、その制度組織の用心深さをも語っていた。鉄砲を改め女を改めるほど旅行者の取り締まりを厳重にした時代に、これほどよい要害の地勢もないからである。この谿谷けいこくの最も深いところには木曾福島の関所も隠れていた。
東山道とも言い、木曾街道六十九次とも言った駅路の一部がここだ。この道は東は板橋を経て江戸に続き、西は大津を経て京都にまで続いて行っている。東海道方面を回らないほどの旅人は、否でも応でもこの道を踏まねばならぬ。一里ごとに塚を築き、榎を植えて、里程を知るたよりとした昔は、旅人はいずれも道中記をふところにして、宿場から宿場へとかかりながら、この街道筋を往来した。
馬籠まごめは木曾十一宿の一つで、この長い谿谷の尽きたところにある。・・・
この中山道は現在、国道19号線として立派な舗装の自動車道路になっています。車で走りながらこの島崎藤村が描いた昔の中山道を思い浮かべていました。昔の道らしい細い道路が所々で19号線から分かれて山の斜面に入っています。
昔の中山道は現在は奈良井、妻籠、馬籠の宿場町の真ん中に残っているだけなのです。嗚呼、時はどんどん流れ行きますが、そこだけは時が止まっているのです。此処で生活し、古い建物を維持している人々のご苦労は如何ばかりかと感じ入りながらの旅でした。
新幹線が走り高速自動車道路が出来ても奈良井、妻籠、馬籠の宿は頓着しません。人間は何故そんなにいそぐのでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)