連日のコロナ報道
季節も秋から冬に寒くなり、コロナの居心地が良いのか、コロナ感染が再び増大始めた。
全く経験のないコロナ感染について、全く予想も付かず、総てが成り行き任せで、今後の動向も全く分からない。
感染者の口からコロナとして細かい飛沫が飛ぶ為、今、出来ることはその病原体であるコロナとの空気感染で隔離である。
見えない汚染源は空気中を漂い、浮遊すると言われており、密閉された空間は換気による放出も必要とされている。
こと寒い時期は暖房によって,折角部屋の中が温まっても、換気で外部から冷気を呼び、菌の放出とも併せ、温もりを放出させることが必要となり、北海道など寒冷地域がよりコロナ感染が生まれやすいとも言われている。
何れにしてもその感染を防ぐにはその汚染源となる人の密集する所に、密閉、密着、密接、を控えることしかない。
そんなことから、必然的に外出を控え、防衛上家にとじ込まざるを得ない。
見通しの立たないまま、何時間でもこんなことが強いられるか、人との接触機会を失い、唯漫然と暮らす毎日に、退屈極まりない。
こんな時こそ書をを紐解き集中し脳活性化のチャンスであるが、其れに背き、カレンダーの日めくりは益々、早く時を失ってしまう。
(再開の機会)
そんな毎日にぼやき乍ら、ラインを唯一の通信手段で繋がっていた友人と、この苦難な道、何とか生き延びを確かめ合うことで会う約束をした。但し久し振りに、合うと言ってもこの厳重な警戒下にどう具体化するか、相応しい場所をお任せし、比較的近く、賑わいを見せる高幡不動に決めた。
<閑散した高幡不動駅前>
背後に高幡不動を控え、何時も参拝者で賑わい、その周辺も食べ物屋、土産屋が軒を並べ、人波が絶えない。
その駅前広場も、ここを起点として各地に繋がる定期バスや人待ちのタクシーも群れなすが昨今のコロナ禍から、外出を控え駅前広場の人の姿が全く少ない。
この表通りから、脇道に飲み屋があり、予め約束した店に向かうと、なんと休みであった。
(恐る恐る店内へ)
それに類するもう一軒を周辺で探し回り、店前に並べられた看板に誘われ、暖簾を潜った。
人一人通れる狭い階段で地下の店に通じる。
木製で角の部分が、かなりすり減り年期の入った急階段を一歩一歩確かめながら、漸く降りる。
店内は狭い階段から、一気に広がる地下の空間であった。
壁際のカウンタ越しが料理場で、料理人と向き合う形で丸椅子が並び、やや高い位置から見下ろすような位置にある。
部屋の中央に2,3の机とそれを囲むように椅子が並べられ、10数人は入れるような店であった。
カウンター脇は6,7人は入れる畳部屋が別にあった。
マスクを装着したまま入店したが、マスク姿は店員さんだけで、案内されるまま隅っこに着座した。
<目に映った瞬間、この狭い空間に驚いた>
(暗たんたる世界)
全体に限られた空間だけに、肩を寄せ合うことはないが、全体が密閉、密着に近い環境に驚いた。
折しも夕方の仕事の帰りか、それとも時間を持て余す年金族か、カウンタ席はほぼ満タンであった。
中央のテーブル席では若い男女4人が、既に酩酊気味で出来上がっており、廻りを気にせず、嬌声が、店に響き渡り否応なしに、頭上に降りかかってくる。
しかも、店内ではお互いに身知り合いか、店に入って来る客がカウンター席に付くとテーブル席
の若い子との間で、声を掛け合っていた。
<激しい飲みっぷりに、最早留まることを知らず>
厳しい管制下、何処も、店も感染予防に行列する場所はソーシャルデイスタンスとして、床にマークを表示、レジには隔離の為に透明の防禦幕を張っており、店も来客も順守している。
当初は不慣れもあって違和感もあったが、これが、当たり前の様に行われ、感染防止の姿であった。
しかし、此処は、三密回避は何処へやら、飛沫が飛び交い、世の中とは開き直り、とも思える解放区の世界であった。
この光景に誰も咎めず、アルコールの勢いによる高揚感で満たされ、コロナなんか関係なしの別世界、であった。
<酒の背後にコロナの魔の手が虎視眈々と狙う>
連日、報道されるコロナ報道に益々歯止めがかからず、増える一方で、暫時増台傾向にあり危惧する。
世界的に見てもヨーロッパが再び増加傾向で、日頃賑わう街中には厳戒令が曳かれ、ゴーストタウン化した姿に今後の日本もどうなるか身が引き締まる。
一方では此処のように「朱に交われば赤くなる」人は交わる友によって善悪いずれにも感化される。
もう諦めてしまったのか、幾ら叫んでも、届かずでどこ吹く風。極端とも思えるが、一方ではこれも現実、なのである。
規制強化も、すり抜け、収束には程遠いとも思えてしまった。
季節も秋から冬に寒くなり、コロナの居心地が良いのか、コロナ感染が再び増大始めた。
全く経験のないコロナ感染について、全く予想も付かず、総てが成り行き任せで、今後の動向も全く分からない。
感染者の口からコロナとして細かい飛沫が飛ぶ為、今、出来ることはその病原体であるコロナとの空気感染で隔離である。
見えない汚染源は空気中を漂い、浮遊すると言われており、密閉された空間は換気による放出も必要とされている。
こと寒い時期は暖房によって,折角部屋の中が温まっても、換気で外部から冷気を呼び、菌の放出とも併せ、温もりを放出させることが必要となり、北海道など寒冷地域がよりコロナ感染が生まれやすいとも言われている。
何れにしてもその感染を防ぐにはその汚染源となる人の密集する所に、密閉、密着、密接、を控えることしかない。
そんなことから、必然的に外出を控え、防衛上家にとじ込まざるを得ない。
見通しの立たないまま、何時間でもこんなことが強いられるか、人との接触機会を失い、唯漫然と暮らす毎日に、退屈極まりない。
こんな時こそ書をを紐解き集中し脳活性化のチャンスであるが、其れに背き、カレンダーの日めくりは益々、早く時を失ってしまう。
(再開の機会)
そんな毎日にぼやき乍ら、ラインを唯一の通信手段で繋がっていた友人と、この苦難な道、何とか生き延びを確かめ合うことで会う約束をした。但し久し振りに、合うと言ってもこの厳重な警戒下にどう具体化するか、相応しい場所をお任せし、比較的近く、賑わいを見せる高幡不動に決めた。
<閑散した高幡不動駅前>
背後に高幡不動を控え、何時も参拝者で賑わい、その周辺も食べ物屋、土産屋が軒を並べ、人波が絶えない。
その駅前広場も、ここを起点として各地に繋がる定期バスや人待ちのタクシーも群れなすが昨今のコロナ禍から、外出を控え駅前広場の人の姿が全く少ない。
この表通りから、脇道に飲み屋があり、予め約束した店に向かうと、なんと休みであった。
(恐る恐る店内へ)
それに類するもう一軒を周辺で探し回り、店前に並べられた看板に誘われ、暖簾を潜った。
人一人通れる狭い階段で地下の店に通じる。
木製で角の部分が、かなりすり減り年期の入った急階段を一歩一歩確かめながら、漸く降りる。
店内は狭い階段から、一気に広がる地下の空間であった。
壁際のカウンタ越しが料理場で、料理人と向き合う形で丸椅子が並び、やや高い位置から見下ろすような位置にある。
部屋の中央に2,3の机とそれを囲むように椅子が並べられ、10数人は入れるような店であった。
カウンター脇は6,7人は入れる畳部屋が別にあった。
マスクを装着したまま入店したが、マスク姿は店員さんだけで、案内されるまま隅っこに着座した。
<目に映った瞬間、この狭い空間に驚いた>
(暗たんたる世界)
全体に限られた空間だけに、肩を寄せ合うことはないが、全体が密閉、密着に近い環境に驚いた。
折しも夕方の仕事の帰りか、それとも時間を持て余す年金族か、カウンタ席はほぼ満タンであった。
中央のテーブル席では若い男女4人が、既に酩酊気味で出来上がっており、廻りを気にせず、嬌声が、店に響き渡り否応なしに、頭上に降りかかってくる。
しかも、店内ではお互いに身知り合いか、店に入って来る客がカウンター席に付くとテーブル席
の若い子との間で、声を掛け合っていた。
<激しい飲みっぷりに、最早留まることを知らず>
厳しい管制下、何処も、店も感染予防に行列する場所はソーシャルデイスタンスとして、床にマークを表示、レジには隔離の為に透明の防禦幕を張っており、店も来客も順守している。
当初は不慣れもあって違和感もあったが、これが、当たり前の様に行われ、感染防止の姿であった。
しかし、此処は、三密回避は何処へやら、飛沫が飛び交い、世の中とは開き直り、とも思える解放区の世界であった。
この光景に誰も咎めず、アルコールの勢いによる高揚感で満たされ、コロナなんか関係なしの別世界、であった。
<酒の背後にコロナの魔の手が虎視眈々と狙う>
連日、報道されるコロナ報道に益々歯止めがかからず、増える一方で、暫時増台傾向にあり危惧する。
世界的に見てもヨーロッパが再び増加傾向で、日頃賑わう街中には厳戒令が曳かれ、ゴーストタウン化した姿に今後の日本もどうなるか身が引き締まる。
一方では此処のように「朱に交われば赤くなる」人は交わる友によって善悪いずれにも感化される。
もう諦めてしまったのか、幾ら叫んでも、届かずでどこ吹く風。極端とも思えるが、一方ではこれも現実、なのである。
規制強化も、すり抜け、収束には程遠いとも思えてしまった。
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