半ば通年の行事として、今年も北海道へ来てしまった。
毎年来る北海道も南は通過して、知床半島を中心に同東か、美瑛、富良野の道央であったが、今年は戊辰役の戦役を繰り広げた函館の地に舞い降りた。
同じ北海道でも、如何にも果てしない大地を思い起こす所から、一転して人、車も多い函館の街であった。都会の車の渦から外れ、時には行き交う車もなく、国道を殆ど独占モードで走れたが、函館では全く様子が異なり車の数に応じて、監視の目も厳しく、道脇で潜めたパトカーが、いきなり飛び出し、ご用なんてことが、身近に目の前で起きている。
それに10月も半ば過ぎているのに、朝晩はそれなりに寒さを感じるが、日中は温かく、東京とさほど変わらないのは、温暖化のせいであろうか・・・。
最初に寄った、大沼公園はこの時期、紅葉は2、3分程度で、全く期待外れであったのも、温暖化の影が紅葉まで狂わしているようであった。上の湯温泉で、旅館の女将も「もともと、道南は温かいが今年の夏は異常に暑かったですよ」とも言われた。
その函館で泊まったホテルが、ビル郡を押し退け市内を俯瞰する函館のシンボリックな五稜郭タワーが目の前であった。(写真参照)
タワーの右側の緑は五稜郭の五稜郭公園である。
タワーから五稜郭は繋がっており、新装復元した奉行所とも合わせ、観光のメッカか、一般客とも合わせ女子高校生の大量の群れ、タワーに上がると、何やら中国語、韓国語が飛び交い、国際化の真直中であった。とりわけ反日デモが騒がれている昨今も関係ないように、賑やかであった。
タワーから函館市内を360度見渡せる。ビル超えた向かい側の山が334mの函館山である。その函館山から稜線が一段下がり、海側にせりだしている部分は立待岬である。反対側の稜線の先が函館湾である。その先が昨日回った松前方面である。
反対にその函館山に登って市内の夜景を見ると両側から海に挟まれくびれた半島の様子が、手に取るように分かり、見事なジオラマが目の前で展開する。
函館港を囲むように幾つかの坂があり、石畳、両側の植え込み、建物が丸で、油絵を見るような炯眼がすばらしい。
その一つが基坂(もといざか)で、かっては函館本線の起点で、坂下にその原点となる標識が立てられている。坂の上は函館奉行所があった場所でもとより此処が、大江戸日本橋のような函館の原点であったような感じがする。
あちこちで、小旗をかざし、群れ集を引き連れて案内する集団。かっては東南アジアで席巻した一眼レフのカメラを下げての日本人観光客姿が、完全に若い中国人に置き換わってしまっている。
教会、一財産を築いた豪邸、ドック、赤煉瓦倉庫、外国との門戸を開き、欧米文化の作り・空気が横浜元町の姿がだぶり、町並みは平日にも関わらず賑やかであった。
道南だけでの走行距離は延べにして420㎞。向きになって走ったり、宝物探しで狭い道を走ったり、ニアミスがあったりで、疲れてしまった。さ~て引き出しに入れておいた旅の思い出をゆっくりまとめようか
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