春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

花の銀座でOB会

2010-10-15 20:50:00 | 仲間との絆

パソコンの新規導入に翻弄され、明けても暮れてもパソコンに向き合う毎日に少々滅入ってしまった。
鬱の気分からの解放を含め、昨日は宇都宮へ城跡と戊辰の戦い跡をしっかり見て帰ってきた。観光案内の人に、宇都宮まったく知らずの輩に色々教えてもらった。
名物餃子も食べ、おばちゃんのもったりした独特の栃木弁に触れ、なんとなく人との触れ合いが嬉しかった。
しかし、片道3時間の遠い宇都宮、何時来れるか判らず城下町をくまなく歩き、大変疲れた。

そして今日は銀座で会社の事業部のOB会,久しぶりに花の都で人ごみにもまれた。
1年に1回の年中行事であるが、なんとなく昨日の疲れもあって、多少のマンネリ化が銀座までの道が遠く、多少の義務感で重い足をひきずるように出かけた。

この日にかけて、はるばる北海道から、九州から来る気合の入った連中から考えれば、銀座ごときは庭先のごとき場所であるのに、もう組織から外れて10年以上経つと、単なる儀礼的なご挨拶の会合にわくわく響きが湧かないのである。
宴会開始の2分前に到着、宴会の料理が酒が準備され、スタンバイOKなのに、延々と続くご挨拶、かれこれ1時間も続き、80歳を越える高齢者もいる中で、まだまだ若手の分際なのにどっかりと座りたくなる。
つい先ごろ社長の座を譲り渡した旧社長の挨拶があった。
世の中の不況の中で、厳しい社境に、我々の世代では時代を背負ったホープであった旧社長の顔が何時になく、疲れ切りすっかり老け込んでしまっている。
不況を背負い内外で叩かれ、まさに地獄を見てきたようで、打たれ強くなったと本人の口から出ているが、語る挨拶になんとなく元気を失っている。新旧社長の挨拶に、会社も、仲間も何千人という単位でかなりスリム化し今まで培った企業力で新しい事業展開を図っているようであるが、変わり身の早い世界に、言葉そのものがすでに判らなくなってきてしまった。

しびりきれ、会場の熱気に喉も目いっぱい渇き、テーブルに置かれたビールの冷えも緩やかにようやっと乾杯。
中央の料理に足しげく通い、めぼしいものの分捕り合戦に、参戦し、自前のテーブルに運び込む。戦後の食糧貧窮の世代に生まれた習癖が抜けられず、年金生活者の身分で普段ありつけない料理と意地汚く食らいつく。
テーブル単位で生まれた島にほとんどへばりつき、島島のわたり挨拶もあまりできないまま、すぐさま337拍子。
銀座の1等地であるがゆえに、飲み食い時間は賞味1時間足らず、そこそこ2次会のステップのために示し合せたようにそれぞれ流れていった。
毎年、同じような筋書き、飽き足らず、また来てしまった。そんな混雑のなかで、拙宅のHPをしっかり見ているよとのわずかな声が、見えないところでまだ繋がっているようで嬉しかった。
6Kの高い参加料に何で来るんだと、挨拶もそこそこに脱兎のごとく、会場を後にした。まあ一つの生存証明を果たす場と割り切るしかないとも思えた。

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