幕末以来の名残を留める、甲州街道筋の本陣の建屋は東京都内で唯一残される希少な存在である。
日野宿の名主が代々住んでいたが、戦後手離し、蕎麦屋さんに買い取られ「日野館」の看板で長い間、営業していた。街道より奥まった建屋は江戸時代の和風建築で独特の雰囲気を持っている。
蕎麦を食べる雰囲気作りに一役を買い、蕎麦通に人気を得ていたようであった。
その蕎麦屋も2004年に手離し、市にバトンを渡し、以来歴史建造物として観光拠点になっている。
外周の生け垣、敷きつめられた砂利道で建屋の土間に通じ、建物はそのまま維持されており、蕎麦屋と全く変わらない。
そんな慣れ親しんだ蕎麦屋フアンが、蕎麦を信じて疑わず、土間まで入り込み、「冷たい蕎麦を」と注文したり。
黒い服に身を包む法事の帰り集団が、蕎麦でもと立ち寄ることなど、当地に根付いた蕎麦屋イメージが未だに抜けきれない。
外門から土間の入り口に通じる花道は砂利が敷きつめられ、「ザク・ザク」と踏む音が、響き、館内入場を告げるメッセージである。
しかし、前述の蕎麦屋で迷走したり、単なる雪隠利用でそそくさと出てってしまったり、「サクサク」音が入場者に繋がらない。
月1度の巡り合わせ、殆どスルーパスの平日に時間待ちの日もあれば、休日に切れ目ない来館者の応対に声を枯らすことなど千変万化の世界である。
久しぶりの平日の当番に、終日時間を弄ぶ日であったが、閉館間際に珍しく、ハングルヨジャの入館があった。
『イルボンマル、(日本語)アラスミカ?(判りますか)』と問いかけたら、びっくりした顔で
『ネーネ、アラスミダ(はいはい、判ります)、ハングルマル・チョウスミニダ(韓国語上手いですね)』
と言われ、『コマップスミニダ』とお礼の言葉で応じた。
変なおやじが、突然の変事に、ハングルヨジャばかりか、回りが驚いていた。
こんなことは滅多にないが、機会の全くないハングルの引き出しは既に何処変え飛んで行ってしまい、すっかりさび付いてしまった。しかし、現地、堤川での生活に必要に迫られての言葉だけに、体で覚えたハングルの一部は中々消えそうも無い。
時間があればともっと話しかったが、閉館時間で叶わず、『アニョンヒ・ケシプシオ』のサヨナラ言葉で閉めた。
先日、市営無料駐輪場で難儀していたフィリピーナを助けた所、即席英会話教室となり中国人と思われていた。後ろで見ていた女子高生がびっくりした後の大爆笑が待っていた。
と言うのも何ちゃってで会話してる私に女子高生が「尊敬のまなざし」を向けている。
こっぱずかしかったため『学生のころ英語ずっと2だったけどどとかなるもんだね』と振り向き話しかけたんです。尊敬のまなざしから安どの表情になり吹き出しました。
即席英会話に巻き込まれることがなぜか多々有るのですがとにかく外国語は苦手です。ハングル語を操れるなんて尊敬しちゃいます。
現在。語学としては、日本語で。手話を独学で始めてみました。いつになったら日常手話くらいが出来ることやら。。。
手話は日本語だし子供が同学年のご近所で手話を使うのでいつかは覚えられるでしょう。
交流・浸透が進む中で、あっても、まさか身近なところで使う機会があるとは、思いませんでした。
英語と違って、文法は日本語と近いので、単語さえ覚えておけば、意外とすんなり入れます。
どうです、頑張っては見ませんか?(笑い)