白河、会津のバスの旅。天候も良かったし、しっかり歴史旅を楽しんだ。
内陸部であったが、白河城の石垣や土守部分が崩落し、3.11から1年半も経過するのに、建設機械が入り、修復工事、今真っ最中と言うあたり地震の根の深さを物語る。周辺の道もあちこちで掘り起こし、懸命なピッチで復旧にかかっている。
そんな道路事情でもあったが、予定の地域はほぼ計画通りに巡回出来た。
帰りは東北道から首都高を通り、中央道に抜ける道であった。
しかし、丁度帰宅ラッシュにかかり、予想どおり渋滞が始まった。
ある程度覚悟はしていたものの、微速でも動いていた車列も、車間距離が段々つまり、遂に動かなくなってしまった。
亀の如く、動いては止まり 動いては止まりの連続に何時到着するやらと思ったがこの異常な状態はやはり事故渋滞であることが判った。
膨大な車列が細い路面に一気に殺到する。ちょっとした油断、タイミングのずれが車同士がチョコンと、触れ、事故検証で現場待機。
見物渋滞と忽ち大動脈が詰まってしまい、こうした混乱が生れてくる。
総てが首都高に集まり、地方へ抜ける、道作りの構造的な欠陥が、こうした渋滞を生み出しているようである。
防音壁に囲まれ、穴蔵に潜ったまま、目に映るのは車のテールランプの世界、忍の一字で
ここは耐えるしかなかった。
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