<もみじ坂>
桜木町駅から、都心や埼玉から結ばれ今を時めく港みらいに背を向けて、山側に向かう。
国道16号から離れ、ビルに挟まれたもみじ坂を登り、野毛山に向かう。駅周辺で賑やかであった人並みも、山側はまるで別世界のようである。
容赦無く降り注ぐ、お天道さんも真夏、真っ盛りで、日陰もなく、暑い。
坂を登り切ったところが、右側が県立の図書館、音楽堂や能楽堂など施設が立ちならびその背後が掃部山公園である。
<掃部山公園の井伊直弼像>
井伊直弼の巨象が遥か、横浜港を見下ろしている。
巷では開港祭りで賑わい、夜は花火が打ち上げられ祭りの雰囲気作りに一役を担っている。
開港か、いや反対と国論が沸騰するなか、黒船が深く江戸湾に入り込み、ドカンドカンと威嚇の空袍を背景に開港を迫る。
「おれがやらなきゃ、誰がやる」反対者が多く居る中、半ば強引に通商条約を結んでしまい今日の横浜の開港の道が開けた。
開港の反対者を時の権力で押しつぶし、捕縛、処刑の嵐が吹き荒れた。その反動もあって、江戸城、桜田門で水戸浪士に襲撃され、横死した。
当時横行した外個人殺傷のテロから護るため開港地、横浜は米の収穫もない辺鄙な僻地を選ばれた。
居留地の出入りは関所が設けられ、吉田橋関所では大量な定番役が睨みをきかし、通過には鑑札を必要とされる中での厳しいでの開港であった。
<伊勢佐木町のアーケード>
伊勢佐木町のアーケードとJR館内駅の間の吉田橋があり、往復する人の出入の雑踏の中にある。、
『あなた知ってる 港ヨコハマ
街の並木に 潮風吹けば
花散る夜を 惜しむよに
伊勢佐木あたりに 灯りがともる
恋と情けの 灯がともる』♪♪・・・♪ 泥臭い風情をこんな唄いまわしで青江三奈が伊勢佐木町を謡っている。
不穏な外国テロも鎮静化され、欧風文化が一気に流れ、周辺の伊勢佐木町も賑わいを見せた。
こんな発展を果たして予想したのであろうか、今日のみなと未来の姿を見ないまま、井伊が静かに港を俯瞰している姿が印象的であった。
掃部山の南側の沿いの高台から下に「よこはま道(現在の戸部通り)」に出る。
野毛の切り通しの壁面沿いによこはま道から坂道を登り野毛公園方面に向かう。
アップダウンの土地柄、如何にも不自然な切り通しが見える。隔離された居留地と神奈川の往復が不便と、居留民が不満を爆発、この間を結ぶために、「よこはま道」が約3カ月の突貫工事で繋いでしまった。
野毛山に出る。ちびさん達親子連れの集団が小高い山の広場で、ママが手塩にかけ作った自慢
の弁当を広げ、青天井の下、ピクニックを楽しんでいる。
近くの展望台に上がってみる。
<展望台の眺望>
目の前を開ける素晴らしい眺望を楽しむ。
マリンタワーが遥か彼方にその姿を確かめることが出来る。観光の要地としてみなとの見える
丘公園や外人墓地中華街が遥か彼方にあり、気合と根性を持っても此処から歩くに途方もない
距離であることを認識する。
野毛から馬車道へ
何処からともなく、地鳴りのような歓声が響きわたり、街中で耳にする。
果てさて何であろう?
横浜球場からであった。毎年、下位で低迷し、お荷物球団であったが、今年のDeNAはちょっと様子が違う。勝てば何よりもカンフルになってお客が自然と増え、横浜ブルーが席を埋め連日満員。怒濤のような3万弱の歓声が潮風にのってみなと未来に駆けめぐる。
歓声を耳に果たして、どんなドラマが生まれたか、歓声の渦が、気になる。
腹が減った、何処に入ろうか?行き当たりばったりで、馬車道のならびに、中国広東料理店に入った。高い天井、広々とした空間、訛りの強い中華系のお姉さんが「いらっしゃいませ」の声に迎えられる。
この暑さに自然と生ビールが、喉を通り、幸せな一瞬に生きている喜びを甘受する。定番のめん類。こってりとした言うに言われぬ独特の味が、自然と食感をそそる。
帰りのレジであの有名な周富徳の「生香園」であることが、置かれた名詞で初めて判った。
周富徳は既に亡くなり、二代目周 富輝が先代の遺志を継いで、賑わいを見せている。
「ああ~これが噂の富徳味か」と看板味に偶然触れることが出来た。
<赤レンガ、美しい近世ルネッサンスの開港記念館>
桜木町駅から、都心や埼玉から結ばれ今を時めく港みらいに背を向けて、山側に向かう。
国道16号から離れ、ビルに挟まれたもみじ坂を登り、野毛山に向かう。駅周辺で賑やかであった人並みも、山側はまるで別世界のようである。
容赦無く降り注ぐ、お天道さんも真夏、真っ盛りで、日陰もなく、暑い。
坂を登り切ったところが、右側が県立の図書館、音楽堂や能楽堂など施設が立ちならびその背後が掃部山公園である。
<掃部山公園の井伊直弼像>
井伊直弼の巨象が遥か、横浜港を見下ろしている。
巷では開港祭りで賑わい、夜は花火が打ち上げられ祭りの雰囲気作りに一役を担っている。
開港か、いや反対と国論が沸騰するなか、黒船が深く江戸湾に入り込み、ドカンドカンと威嚇の空袍を背景に開港を迫る。
「おれがやらなきゃ、誰がやる」反対者が多く居る中、半ば強引に通商条約を結んでしまい今日の横浜の開港の道が開けた。
開港の反対者を時の権力で押しつぶし、捕縛、処刑の嵐が吹き荒れた。その反動もあって、江戸城、桜田門で水戸浪士に襲撃され、横死した。
当時横行した外個人殺傷のテロから護るため開港地、横浜は米の収穫もない辺鄙な僻地を選ばれた。
居留地の出入りは関所が設けられ、吉田橋関所では大量な定番役が睨みをきかし、通過には鑑札を必要とされる中での厳しいでの開港であった。
<伊勢佐木町のアーケード>
伊勢佐木町のアーケードとJR館内駅の間の吉田橋があり、往復する人の出入の雑踏の中にある。、
『あなた知ってる 港ヨコハマ
街の並木に 潮風吹けば
花散る夜を 惜しむよに
伊勢佐木あたりに 灯りがともる
恋と情けの 灯がともる』♪♪・・・♪ 泥臭い風情をこんな唄いまわしで青江三奈が伊勢佐木町を謡っている。
不穏な外国テロも鎮静化され、欧風文化が一気に流れ、周辺の伊勢佐木町も賑わいを見せた。
こんな発展を果たして予想したのであろうか、今日のみなと未来の姿を見ないまま、井伊が静かに港を俯瞰している姿が印象的であった。
掃部山の南側の沿いの高台から下に「よこはま道(現在の戸部通り)」に出る。
野毛の切り通しの壁面沿いによこはま道から坂道を登り野毛公園方面に向かう。
アップダウンの土地柄、如何にも不自然な切り通しが見える。隔離された居留地と神奈川の往復が不便と、居留民が不満を爆発、この間を結ぶために、「よこはま道」が約3カ月の突貫工事で繋いでしまった。
野毛山に出る。ちびさん達親子連れの集団が小高い山の広場で、ママが手塩にかけ作った自慢
の弁当を広げ、青天井の下、ピクニックを楽しんでいる。
近くの展望台に上がってみる。
<展望台の眺望>
目の前を開ける素晴らしい眺望を楽しむ。
マリンタワーが遥か彼方にその姿を確かめることが出来る。観光の要地としてみなとの見える
丘公園や外人墓地中華街が遥か彼方にあり、気合と根性を持っても此処から歩くに途方もない
距離であることを認識する。
野毛から馬車道へ
何処からともなく、地鳴りのような歓声が響きわたり、街中で耳にする。
果てさて何であろう?
横浜球場からであった。毎年、下位で低迷し、お荷物球団であったが、今年のDeNAはちょっと様子が違う。勝てば何よりもカンフルになってお客が自然と増え、横浜ブルーが席を埋め連日満員。怒濤のような3万弱の歓声が潮風にのってみなと未来に駆けめぐる。
歓声を耳に果たして、どんなドラマが生まれたか、歓声の渦が、気になる。
腹が減った、何処に入ろうか?行き当たりばったりで、馬車道のならびに、中国広東料理店に入った。高い天井、広々とした空間、訛りの強い中華系のお姉さんが「いらっしゃいませ」の声に迎えられる。
この暑さに自然と生ビールが、喉を通り、幸せな一瞬に生きている喜びを甘受する。定番のめん類。こってりとした言うに言われぬ独特の味が、自然と食感をそそる。
帰りのレジであの有名な周富徳の「生香園」であることが、置かれた名詞で初めて判った。
周富徳は既に亡くなり、二代目周 富輝が先代の遺志を継いで、賑わいを見せている。
「ああ~これが噂の富徳味か」と看板味に偶然触れることが出来た。
<赤レンガ、美しい近世ルネッサンスの開港記念館>
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