◇沼津から富士の霊峰
いち早く、春を呼ぶ伊豆に行ってみたいと、久しぶりに愛車を駆使して伊豆半島へ、向かう。
東名の横浜icから沼津icへ、折角の遠出に、このところ安定した天気が崩れるという。しかし当日の朝はそんな予想を覆し、車窓から日が眩しく、入ってくる。90㎞代の走行車線に目を慣らし、追い越し車線へ、あれほど詰まっていた車両が西下するに連れ、減ってきて快適な運転が出来る。
見え隠れしていた富士山が、ワイドスクリーンに大きく迫ってくると、最早そのまま見過ごすには勿体ないと、足柄saで休憩。広い駐車場を駆け回り、ベストポジションで富士山を捉える。
こうして近接で見ると、山裾は雪も溶け、真っ黒い被写体が目に映り、これも暖冬の影響と地球規模の温暖化かと思えてくる。
◇伊豆半島南下
<下加茂温泉の桜風景>
沼津icから、車両ラッシュは相変わらずの1号線へ、さらに136号線に出て、伊豆半島の中央部をひたすら南下する。しかし、渋滞の渦は続き修善寺の温泉と河津桜見物の観客で、平日にも関わらず、大変な混みようである。
136号線から、更に414号線で南下、天城峠越えとトンネルが続き、段々深い山に入って行く。
やがて半島のほぼ南端に近い下田に入り、なんと言っても吉田松陰が捕まった幕末遺跡に吸い込まれる様に下田の町で休息する。拝の幕末好きに、廻りも諦め、4回目?の開国博物館であった。
ここで、渋滞ラッシュの続く河津桜を避けて、下加茂温泉へ。
青野川沿いの堰堤に桃色の桜と菜の花の黄色が見事に咲いており、2009年は2月5日~3月10日までは町を挙げて、てんこもりのまつりイベントが行われている。この花の賑わいに春の季節は既に南の伊豆から始まっている。
1~1.5車線のくねくね曲がった山道の県道を通り、スリル満点で一気に西海岸へ。殆ど車なし、先の見通しの効かない角にはミラーがあるが、何時、向かい側に対向車が現れるかと危険と背中併せの走行に全神経を張りつめ、山岳路を克服し、海岸線の片側2車線に出た時はほっとさせられる。
◇堂ヶ島
夕陽が落ちる前に何とか堂ヶ島に到着する。
堂ヶ島温泉ホテルに到着。
案内された1室の眼下には海触され、荒々しい岩肌のリアス式海岸が手に取るように見える。内海なのか完全にべた凪、静かな海面に絵の具を落としたようにエメラルドグリーンに輝いている。崖にへばりつくように建てられたホテルの7階はフロントに繋がっており、海岸を一望出来る場所に椅子が用意されている。夕陽を眺めながら、日没を確かめられる最高のビュウーポイントであり、その巡り合わせが生れればワインサービスが付くが、当日は雲がかかり、生憎中止であった。折角夕陽に間に合わすべく、ホテル到着はその時間に間に合うように頑張ったが、不運にも願いは叶わなかった。
明日の予報は雨、ならば今しかない。陽も落ちかける時間にがけ下の海岸に降りてみた。
浜に打ち上げられた漂流物に混じって、ご覧のような大きな鯛が目をむき出し、不気味に睨んでいた。浅瀬に迷走し、鳥に襲撃され、無惨な最期を遂げたようだ。胴体の半面だけ骨を残して綺麗に食べているが、その半面は肉はついたまま、随分贅沢な勿体ない食べ方である。自然の中の動物たちがまさに生きる世界を目の前で見るようである。
荒々しい岸壁に取りついた大小の岩、頼り無い吊り橋に恐る恐る、足場を確かめながら海岸線を歩いてみる。岸壁を越えると遮られた姿が一面に開け、新たな展望が確かめられる。
陽も落ちかけ、足元が怪しくなり、急ぎ部屋に戻る。
楽しみはまさに目の前の御馳走である。豊富な海産物が綺麗に飾られ、勢を尽くしたお作りの逸品に、貧乏人は箸を付けるのも勿体ないと思えてしまう。
伊勢海老、スズキのポワレ、ウニ、烏賊の黄身焼き、甘鯛・・・。
アルコールもじっくりと廻り、心地よい酔いに包まれながら、じっくり食を楽しむ。話しも弾み宴もたけなわ、大食堂に廻りを見たら、最後に残ったのは我々4人のテーブルだけであった。翌日チエックアウト、玄関口で、厚化粧に着物姿、ン十年前のお嬢さんに見送られて、次の目的地へ向かう。
これも地方でのワークシエアーか、一列に行儀よく並び、深々と頭下げ、周知徹底されたサービス精神を備えた大量な女将の数に、圧倒される。
◇松崎の町
翌朝は朝から雨と風が吹きまくり、前日とはうって変わった、横殴りの荒れ狂った天気。傘を差しながら、松崎の町を歩き、重要文化財の岩科学校(明治12年)、長八美術館、明治商家邸や町を覆うナマコ壁の独特の雰囲気と歴史文化の町を、じっくり楽しむ事ができた。
歴史を感じる明治の洋風建物の岩科学校の隣に、近代的な学校が並んであったが、その学校も今は使われていないようで、廃校になっていたのが、何とも象徴的であった。
<岩科学校で傘をさしながら見学する小学生の一団>
江戸の左官で比類なき名人と讃えられた入江長八は町を代表する人物である。長八の菩提寺である浄感寺は天井や欄間に残した代表的な作品があり、熱帯びたガイドさんが漆喰芸術の凄さをたっぷり紹介された。
寺のお堂で降りやまぬ雨は、情緒たっぷりに、舞台を作ってくれる。これも雨のお蔭で、集中できたことであった。
波浪たつ荒々しい西海岸を横目に、たっぷり楽しみ一路、東京に帰った。
いち早く、春を呼ぶ伊豆に行ってみたいと、久しぶりに愛車を駆使して伊豆半島へ、向かう。
東名の横浜icから沼津icへ、折角の遠出に、このところ安定した天気が崩れるという。しかし当日の朝はそんな予想を覆し、車窓から日が眩しく、入ってくる。90㎞代の走行車線に目を慣らし、追い越し車線へ、あれほど詰まっていた車両が西下するに連れ、減ってきて快適な運転が出来る。
見え隠れしていた富士山が、ワイドスクリーンに大きく迫ってくると、最早そのまま見過ごすには勿体ないと、足柄saで休憩。広い駐車場を駆け回り、ベストポジションで富士山を捉える。
こうして近接で見ると、山裾は雪も溶け、真っ黒い被写体が目に映り、これも暖冬の影響と地球規模の温暖化かと思えてくる。
◇伊豆半島南下
<下加茂温泉の桜風景>
沼津icから、車両ラッシュは相変わらずの1号線へ、さらに136号線に出て、伊豆半島の中央部をひたすら南下する。しかし、渋滞の渦は続き修善寺の温泉と河津桜見物の観客で、平日にも関わらず、大変な混みようである。
136号線から、更に414号線で南下、天城峠越えとトンネルが続き、段々深い山に入って行く。
やがて半島のほぼ南端に近い下田に入り、なんと言っても吉田松陰が捕まった幕末遺跡に吸い込まれる様に下田の町で休息する。拝の幕末好きに、廻りも諦め、4回目?の開国博物館であった。
ここで、渋滞ラッシュの続く河津桜を避けて、下加茂温泉へ。
青野川沿いの堰堤に桃色の桜と菜の花の黄色が見事に咲いており、2009年は2月5日~3月10日までは町を挙げて、てんこもりのまつりイベントが行われている。この花の賑わいに春の季節は既に南の伊豆から始まっている。
1~1.5車線のくねくね曲がった山道の県道を通り、スリル満点で一気に西海岸へ。殆ど車なし、先の見通しの効かない角にはミラーがあるが、何時、向かい側に対向車が現れるかと危険と背中併せの走行に全神経を張りつめ、山岳路を克服し、海岸線の片側2車線に出た時はほっとさせられる。
◇堂ヶ島
夕陽が落ちる前に何とか堂ヶ島に到着する。
堂ヶ島温泉ホテルに到着。
案内された1室の眼下には海触され、荒々しい岩肌のリアス式海岸が手に取るように見える。内海なのか完全にべた凪、静かな海面に絵の具を落としたようにエメラルドグリーンに輝いている。崖にへばりつくように建てられたホテルの7階はフロントに繋がっており、海岸を一望出来る場所に椅子が用意されている。夕陽を眺めながら、日没を確かめられる最高のビュウーポイントであり、その巡り合わせが生れればワインサービスが付くが、当日は雲がかかり、生憎中止であった。折角夕陽に間に合わすべく、ホテル到着はその時間に間に合うように頑張ったが、不運にも願いは叶わなかった。
明日の予報は雨、ならば今しかない。陽も落ちかける時間にがけ下の海岸に降りてみた。
浜に打ち上げられた漂流物に混じって、ご覧のような大きな鯛が目をむき出し、不気味に睨んでいた。浅瀬に迷走し、鳥に襲撃され、無惨な最期を遂げたようだ。胴体の半面だけ骨を残して綺麗に食べているが、その半面は肉はついたまま、随分贅沢な勿体ない食べ方である。自然の中の動物たちがまさに生きる世界を目の前で見るようである。
荒々しい岸壁に取りついた大小の岩、頼り無い吊り橋に恐る恐る、足場を確かめながら海岸線を歩いてみる。岸壁を越えると遮られた姿が一面に開け、新たな展望が確かめられる。
陽も落ちかけ、足元が怪しくなり、急ぎ部屋に戻る。
楽しみはまさに目の前の御馳走である。豊富な海産物が綺麗に飾られ、勢を尽くしたお作りの逸品に、貧乏人は箸を付けるのも勿体ないと思えてしまう。
伊勢海老、スズキのポワレ、ウニ、烏賊の黄身焼き、甘鯛・・・。
アルコールもじっくりと廻り、心地よい酔いに包まれながら、じっくり食を楽しむ。話しも弾み宴もたけなわ、大食堂に廻りを見たら、最後に残ったのは我々4人のテーブルだけであった。翌日チエックアウト、玄関口で、厚化粧に着物姿、ン十年前のお嬢さんに見送られて、次の目的地へ向かう。
これも地方でのワークシエアーか、一列に行儀よく並び、深々と頭下げ、周知徹底されたサービス精神を備えた大量な女将の数に、圧倒される。
◇松崎の町
翌朝は朝から雨と風が吹きまくり、前日とはうって変わった、横殴りの荒れ狂った天気。傘を差しながら、松崎の町を歩き、重要文化財の岩科学校(明治12年)、長八美術館、明治商家邸や町を覆うナマコ壁の独特の雰囲気と歴史文化の町を、じっくり楽しむ事ができた。
歴史を感じる明治の洋風建物の岩科学校の隣に、近代的な学校が並んであったが、その学校も今は使われていないようで、廃校になっていたのが、何とも象徴的であった。
<岩科学校で傘をさしながら見学する小学生の一団>
江戸の左官で比類なき名人と讃えられた入江長八は町を代表する人物である。長八の菩提寺である浄感寺は天井や欄間に残した代表的な作品があり、熱帯びたガイドさんが漆喰芸術の凄さをたっぷり紹介された。
寺のお堂で降りやまぬ雨は、情緒たっぷりに、舞台を作ってくれる。これも雨のお蔭で、集中できたことであった。
波浪たつ荒々しい西海岸を横目に、たっぷり楽しみ一路、東京に帰った。
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