長野県丸子町の郊外、別所温泉の近くの修那羅峠に、石仏の並ぶ異郷のような一画があります。すでにご存知かも。
幕末の頃、修那羅大天武という修験者が開いた安宮神社の裏手、深い木立ちの下道に沿って点在する数多くの像。なかば朽ちたもの、土くれと見まがうもの、とにかく異様です。
大天武に感謝した村人たちの奉納で、かっては1200余りあったものが、盗まれたりとて今は800余体。安産、左うちわ、縁結び・・・いずれも生活に密着し、人あり、動物あり、建物あり、稚拙で、土俗的で、それなりの表情がまたいい。
歌人の斉藤史は、歌集「ひたくれない」のなかに、修那羅峠の項を設け39首を収めています。
冬ちかき光を溜めている草生石は古りつつなほ土ならず
蚕神 ねずみをやらう猫神とまつられたまひ直立つ猫の殿
秋不作くるしすべなし逃れたし南無通用金神と刻みたりけり
咳霊神 痰護明神 癪明神 ねがえる数の苦を人はもつ
何聞きて耳とがりたるけもの神言葉吐かねば口裂けにつつ
山かげに転び寝馴れし素朴神おちば褥を恋ひたまふらむ
愚作も
修那羅路の千の像(かたち)に千の願 願を持たざるわれも真向かう
不動尊の憤怒の相を鎮めんと猫の石神四肢揃えおり


幕末の頃、修那羅大天武という修験者が開いた安宮神社の裏手、深い木立ちの下道に沿って点在する数多くの像。なかば朽ちたもの、土くれと見まがうもの、とにかく異様です。
大天武に感謝した村人たちの奉納で、かっては1200余りあったものが、盗まれたりとて今は800余体。安産、左うちわ、縁結び・・・いずれも生活に密着し、人あり、動物あり、建物あり、稚拙で、土俗的で、それなりの表情がまたいい。
歌人の斉藤史は、歌集「ひたくれない」のなかに、修那羅峠の項を設け39首を収めています。
冬ちかき光を溜めている草生石は古りつつなほ土ならず
蚕神 ねずみをやらう猫神とまつられたまひ直立つ猫の殿
秋不作くるしすべなし逃れたし南無通用金神と刻みたりけり
咳霊神 痰護明神 癪明神 ねがえる数の苦を人はもつ
何聞きて耳とがりたるけもの神言葉吐かねば口裂けにつつ
山かげに転び寝馴れし素朴神おちば褥を恋ひたまふらむ
愚作も
修那羅路の千の像(かたち)に千の願 願を持たざるわれも真向かう
不動尊の憤怒の相を鎮めんと猫の石神四肢揃えおり

