575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

幽霊になってみる?   遅足

2008年03月28日 | Weblog
こんな時、あの人なら、どう言っただろうか?
そんな時は亡くなった人が、生き返っているのかも知れません。
ことに、中年は人生の曲り角。思わぬ危機が忍び寄ってきます。
最近観た「嫁も姑も皆幽霊(劇団NLT)」は、
そんなことをテーマにしたドラマでした。

東京下町の老舗菓子店の主人、圭輔(田村亮)は40代。
店は継がず小説家に。
ところが大黒柱だった母、そして妻が相次いで死亡。
さみしさから娘のような若い女性と結婚しましたが、
小説家として壁にぶつかったうえ、
舵取りを失っていた家業の菓子店の経営も危機に。
圭輔は新婚の妻との甘い生活に溺れています。

そんなある日、雷とともに、亡くなった妻と母らが出現。
びっくりする圭輔。妻たちは、しばらく家にいると・・・
鳳八千代が母で、老舗の女将役を手堅い演技で。
音無美紀子はマザコンの夫を持った嫁をコミカルに。
物語の展開は省略しますが、圭輔は自分を直視、
再出発する決心してハッピー・エンドに。
最後は、一家がそろって線香花火を楽しむ場面、
線香花火の光だけが残り、それも消えて・・・
幽霊はあの世に帰っていく。なかなか心憎い演出でした。

     

死んだ親が幽霊となって現れる物語といえば、
山田太一作・異人たちの夏を思い出します。
1980年代後半の作品、あの頃から日本の幽霊が様変わり。
それまでは、怪談などでお馴染みの幽霊。
怨念が、この世に幽霊となって現れるというものでした。
新しい幽霊の登場が、異人たちの夏で、
これも中年という人生の曲がり角に出てきました。

平井照敏の晩年に、こんな句があります。

 生くるとは死者を忘れぬ冬日かな
 気がつけば死んでゐたりき枇杷の花

死後の世界から、この世を見て句をつくる。
死者となって、この世を詠む。
幽霊の劇を見て、そんなことを思いました。



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毒芹             草女

2008年03月28日 | Weblog
 ドクゼリの根を食べて、二人の主婦が中毒を起こしたというニュースをテレビで見た。見知らぬ六十代の女の人に食べることができると教えられたという。
 死には至らなかったがその危険は十分にあった。
 セリ科ドクゼリ属の0.6~1mの多年草。全国の山地の湿地に生える。成長すれば芹と見間違えることはないが、若葉の頃はセリそっくりであり芹を摘む中に混じることがある。抜いて根が太かったり緑っぽかったら止めたほうがいい。
 全草有毒であるが根は猛毒でありトリカブトやドクウツギに並ぶほどである。根は芋状になり、筍状の節があり緑色でワサビに似る。
 昔ギリシャでは罪人の死刑に用いられ、ソクラテスが飲んだドクニンジンエキスと同じ毒性があり誤飲すると口の中が灼熱感にあう、そして嘔吐、全身麻痺などが起こり死にいたるとてう代物。
 これから山菜の季節。山菜と間違えられる有毒植物は多い。例えばドクゼリは若葉をセリと根をワサビと。トリカブトはニリンウやゲンノショウコウに、バイケイソウの仲間はギボウシに等、とても事故が多い。
 人間の祖先の猿は、苦味のある草を食べることができて、今日があるそうだ。山菜の良さはほろ苦さにあるそうだが、余りに苦いのは止めたほうが良い。大半の有毒植物は苦い。
 他人がどう言おうと、自信のないものは食べてはいけない。くれぐれもご用心を。

★写真は山形県衛生研究所のHPより転載しました。
コメント (1)
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