575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

私の先生の句の読み方   遅足

2008年03月09日 | Weblog
私は、荻原裕幸先生の句は、季語をどうずらしているのか?
という観点で読んでいます。


 バス停に空のバス来る二月尽

二月尽という季語は、春。

 束の間のかげろふ立てば二月尽  森澄雄

この句は、季語に素直に詠んでいます。
バス停の句は、どうでしょうか?
自然のなかではなく、都会のなかに春がやってきた感じを
捉えようとしているのではないでしょうか?
満員ではなく、誰もまだ乗っていないバス。
始発でしょうか?
そこに早春の景を見つけた句だと読みました。


 紅き梅見に来て白き梅を見る

 白梅や力を抜いて立つてゐる

 春浅きからだを夜のポストまで

 春めくや受話器を顎にはさむ人

他の句も季語が、歳時記にある句と、どうずれているのか?
そのあたりを楽しんで下さい。
ずれてはいても、なんとなく納得できるように感じます。

    


最初の空のバスの句は、からっぽのバスなのですが、
私は、ソラから降りてきたバスと誤読して一句。

  からっぽの青空という春のバス  遅





コメント (1)
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