575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

書を捨てて、五月の海へ       愚足

2008年04月21日 | Weblog
★「こころは超臨界」というブログに「吟行」についての一文があった。
 私も次回「575の会」の蒲郡初吟行で非日常の気を吸い感興を高め名句を目指したい?
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私は旅に出かけた先でいろんな感興を得ようとする。部屋に閉じこもっていては感興は生まれない。また一方では、何かを注視することは出かけることと同じ効果があり、見つめることは考えることだ。

つまり吟行とは、出かけていき、見つめて、感興を高め、考えて句をつくる行為ということになり、芸術家と凡人の差は、どうやら感興感受性の差にあるようだ。

坪内捻典氏が、本年度の迢空賞を受賞した小池光の歌集『時のめぐりに』(歌人があちこちに出かけてゆく歌集)で次のように書いている。

 山が吐く大いなる気をば吸はむとて
 五月のやまにわれは入りゆく

これは小池氏が、山に出かけた歌。「山」が二度目には平仮名の「やま」になっている点に注目すべきだが、それはともかく、歌人は出かけた先でいろんな「気」を吸う。この「気」とは、面白いと思う何か。別の言葉で言えば、「感興」である。

『時のめぐりに』の後記には、「部屋に閉じこもっていては感興は生まれない」とある。歌人は休日に行き当たりばったりに用のない町などを歩き、「感興」を得ようとした。感興は何かに感激するいわゆる「感動」ではなく、微妙に心が動いたり揺れたりすることだ。この感興、自ら動かないと生じないのである。と

 感動ほど激しくなくとも、違った気を吸いまわりを見つめることによってきっと感興し、いつもと違ったより深い句が生まれるに違いない。
コメント (4)
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