この句について荻原先生がブログに書いてみえましたので、
転載させていただきます。
第一句集『白い夏野』(一九三六年)に収録された一句。
初出は一九三二年=昭和七年の「馬酔木」だという。
俳句史的には、俳句における抽象表現の嚆矢、と理解しておけばいいだろうか。
草木の緑とその背景の空の青とが夏野の色彩の基調かと思われるが、
ここでは「白い夏野」と言っている。
現代の感覚ならば、「白い夏野」とあるだけで、
夏野を見ていて夏野に夏野以上の何かを感じて、
それで「白い」の一語を得たと解されると思う。
実景のなかに抽象化された心象を埋めこむのはそれほど珍しいことではない。
それを「頭の中で」と書いて、何かが白い夏野になっている、
何かが白い夏野を感じさせる、という文脈をわざわざ露呈しているのは、
ただの実景ではないとことわりを入れなければすべてが実景の再現だと
読まれてしまうような俳句の場があったということなのだろうか。
史的背景をあまり考えないで読むと、
この「頭の中で」はちょっとうるさい気もする。
(遅足)