575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「ひとたばの手紙から 戦火を見つめた俳人たち」

2010年04月04日 | Weblog
あの日中戦争から太平洋戦争までの8年間、
俳人たちは、どのように句をつくっていたのか?
俳句に携わった人々の足跡を追いかけ、
こうした疑問に分かりやすく答えてくれる本がありました。

「ひとたばの手紙から 戦火を見つめた俳人たち」です。
宇多喜代子さんが、平成18年に角川ソフィア文庫から出版した本。

喜代子さんの父は、昭和12年に出征。
長谷川素逝・富澤赤黄男・片山桃史らも同じ年に中国大陸へ。

  てむかひしゆゑ炎天に撲ちたふされ 素逝

  秋風のまんなかにある蒼い弾痕   赤黄男

  敵眠り我眠り戦場に月       桃史

昭和17年には日本文学報国会がつくられました。
俳句部会には入会申し込みが殺到したといいます。

この会の事務局長だった久米正雄が昭和18年に出した句集。
返り花の一句。

  松柏の嵐の底や返り花

また新興俳句に関わった人たちのなかには
治安維持法に問われて監獄に入った人も。

金子兜太、佐藤鬼房、森澄雄などは、
戦中に俳壇に登場していた世代。

    昭和17年9月末、召集令状来
  白地きて夕ぐれの香の来てをりぬ  澄雄

20年8月15日敗戦。虚子の句です。

  秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ

     

中村草田男は、戦争を詠む天才の出現を望んでいたようですが、
結局、名句は生まれなかったようです。

石田波郷が指摘しているように、俳句は戦争を詠むには
短かすぎるようです。

                  遅足




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頼朝が山下り来る春の暮れ   朱露

2010年04月04日 | Weblog


       鎌倉から京都へ上る道すがら、
       我が家の近くへ来て馬を葬る。
       鞍掛神社がそれで私の散歩道。
       その晩豊橋普門寺で一泊する。

   この旅は、後白河法皇への「平家撲滅報告」のようです。

          

   
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