船団の岡野ドクターの診断です。
たましいにあぶらみはない、と言ったらそこで終わってしまいます。
たましいのそこはあぶらみであるという言表がなされているので、
とりあえず、それに付き合ってみようという態度がこの場合望ましいかと。
付き合ってみても中七までは一向に像は結ばず、
朧月がボーッと光っているのみ。
それこそが作者の狙いかもしれず、たましいは何にも譬えられず
茫漠とした空間に投げ出されています。
さらに、あぶらみであると指摘された、そことは?と問えば
其処ではなく底かもしれず、
あぶらみの「み」も原因・理由を表わす接尾語の「み」にも見えてきて、
こうなるともう、平仮名表記にした作者の術中に嵌ってしまっています。
好みもあるでしょうが、このように全体が虚でできた、
読みによって像がぶれ続ける句も私には魅力的です。
(ありがとうございます)
たましいにあぶらみはない、と言ったらそこで終わってしまいます。
たましいのそこはあぶらみであるという言表がなされているので、
とりあえず、それに付き合ってみようという態度がこの場合望ましいかと。
付き合ってみても中七までは一向に像は結ばず、
朧月がボーッと光っているのみ。
それこそが作者の狙いかもしれず、たましいは何にも譬えられず
茫漠とした空間に投げ出されています。
さらに、あぶらみであると指摘された、そことは?と問えば
其処ではなく底かもしれず、
あぶらみの「み」も原因・理由を表わす接尾語の「み」にも見えてきて、
こうなるともう、平仮名表記にした作者の術中に嵌ってしまっています。
好みもあるでしょうが、このように全体が虚でできた、
読みによって像がぶれ続ける句も私には魅力的です。
(ありがとうございます)