575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

たましいのそこはあぶらみ朧月   遅足

2010年05月16日 | Weblog
船団の岡野ドクターの診断です。 

たましいにあぶらみはない、と言ったらそこで終わってしまいます。
たましいのそこはあぶらみであるという言表がなされているので、
とりあえず、それに付き合ってみようという態度がこの場合望ましいかと。

付き合ってみても中七までは一向に像は結ばず、
朧月がボーッと光っているのみ。

それこそが作者の狙いかもしれず、たましいは何にも譬えられず
茫漠とした空間に投げ出されています。
さらに、あぶらみであると指摘された、そことは?と問えば
其処ではなく底かもしれず、
あぶらみの「み」も原因・理由を表わす接尾語の「み」にも見えてきて、
こうなるともう、平仮名表記にした作者の術中に嵌ってしまっています。

好みもあるでしょうが、このように全体が虚でできた、
読みによって像がぶれ続ける句も私には魅力的です。

 (ありがとうございます)
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歳時記がぼろぼろになり雲の峰    朱露

2010年05月16日 | Weblog

      角川文庫版と平凡社ポケット版が崩れた。
      角川が平成十五年で平凡は昭和五十六年。
      腰抜けどもめこっちは昭和九年七十五だ。
      「雲の峰」が転んでもただ起きない根性。

           

 夏めくも足暖めて憮然とし   朱露

      朝からヒーターに足をかざして動かず。
      こんなことをしていては何にも出来ぬ。
      この句と四行文を書いたら兎に角動く。
      「普天間問題」でいらいらしているし。

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