575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「韓国船水難救護の記録」の波紋~竹中敬一~

2017年05月05日 | Weblog
福井県小浜市泊地区の人たちが平成9年にまとめた「韓国船水難救護の記録」
の資料集はその後、韓国の人の目にもとまりました。
ソウル在住で日本の地方自治を研究している鄭在吉 (チョンジェキル)さんは、
平成10年、たまたま小浜市を訪れた際、知人宅で資料集と出会いました。

この話に感動した鄭さんは、何とか日韓両国で後世に伝えて行きたいと考え、
大森和良さんら「泊の歴史を知る会」のメンバーと会いました。
そして、鄭さんの提案で丁度、事件から百年目に当たる平成12年、泊地区で
「日韓百年目の再会」と名付けた記念行事を実現させました。
私もこの催しをビデオカメラで撮りながら、取材。鄭さんにもインタビュー
しました。
鄭さんは 、概ね次のように語りました。
「韓国には悲しい歴史、忘れてはいけない歴史があります。韓国併合、
南北分裂、朝鮮戦争です。しかし、どんな状況下にあっても、民衆同士の
血の通った交流があります。歴史の舞台には登場しませんが、民衆の心は
国境を越えて、繋がっています。」

鄭さんと私は、かなえたい願いが一致しました。
それは、北朝鮮にいるにちがいない救護された時の子孫と泊村の人たちとの
対面です。
インタビューの後、鄭さんが私に密かに語った言葉が忘れられません。
「救護された93人は全員、朝鮮半島の北部、つまり今の北朝鮮の人たちです。
今はその子孫に会いたくとも、会えません。
しかし、私は何とか手を尽くして、救護された人たちの子孫が住む北朝鮮の
咸鏡北道へ行ってみたいと思っています。実現したら、必ず連絡します。」

もう、あれから16年になります。この間、南北朝鮮の対立は当時より更に
厳しくなっているようにさえ思われます。
鄭さんからの連絡は途絶えたままで、この物語をドキュメンタリーとして、
取材してきましたが、頓挫してしまいました。
記念行事のあった平成12年には、テレビや新聞も二ユースとして取り上げて
いましたが、その後、この韓国船水難救護の話は時とともに風化してきています。

しかし、金正恩体制のもととはいえ、昔から儒教を尊んできた民族です。
「萬世不忘之恩」、韓国人救護の話は、語り継がれているに違いありません。
今、朝鮮半島は緊迫した状況にありますが、このささやかな国境を越えた
人間愛の物語が緊張を解す何かの役に立てば、と願っています。


写真は、倉谷村長宛の韓国人の礼状(「倉谷善右衛門回顧録」より)


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