575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「理想的な死に方」考   竹中敬一

2017年05月12日 | Weblog
先日、名古屋市昭和区八事の興正寺光明殿で大塚幹郎さんのドキュメンタリー
「山頭火」の上映会に行ってきました。
元名古屋テレビプロデューサーの大塚さんは私より年下、といっても80歳近い
ですが、退職後、とりつかれたように漂泊の俳人 山頭火の足跡を追って、
同じテレビ局にいたカメラマンと映像作品を何本も制作しています。

私も経験があるのですが、自分でビデオ撮影しても、人様に見て頂く作品に
仕上げるまでには、相当の費用がかかります。
大塚さんはこれまでに55回も全国各地で山頭火の上映会を開いていますが、
殆どの場合、入場無料。退職金や年金をはたいて(?)、取材を続けています。
作品の冒頭、網代笠(あじろかさ)に黒衣(こくえ)、わらじ姿の雲水の後ろ姿が
登場しますが、このモデルは大塚さん。
堂に入っていますが、最近、その風貌までもが、山頭火に似てきています。

種田山頭火(1882~1940)は、山口県防府の生まれ。生家の破産などで、熊本の
曹洞宗報恩寺で出家得度。中国、九州、四国など全国を漂泊。

「わけいっても わけいっても あおいやま」などの自由律の句を詠んでいます。

これまで、大塚幹郎さんのドキュメンタリー「山頭火」を何本か見てきましたが、
最近、これらの作品を通じて、「理想的な死に方 とは」ということについて
考えるようになりました。

以前にテレビで見たのですが、一頭の鹿が山の中で、猟師に追い詰められます。
最後の一瞬、穏やかな表情のまま、バタッと倒れてると、すぐ、苦しむ様子もなく
息絶えました。これが一番、理想的な死に方だと思います。

次はポックリ。聞こえは悪いものの、野垂れ死にもわるくはないと思っています。
大塚さんから聞いた話ですが、山頭火に影響を与えた俳人の井月(せいげつ) は
30年に渡り、伊那谷を漂泊。「コジキ井月、シラミ井月」と云われながら、最後は
野垂れ死にしたそうです。

私はこの話を聞いて、なぜか、まだ行ったこともない中国国境に近いラオスの寒村で
野垂れ死にすることを夢想するようになりました、

約2時間の上映会が終わって、外へ出ると、まだ午後3時半というのに夜と間違える程、
境内は暗く、横なぐりの雨が降っていました。市が立つなどして賑わっていた境内は
人の姿もなく光明殿の軒先で雨宿りをしていると、雷鳴が轟き稲妻が走っていました。
やがて、あたりが明るくなったかと思うと、最近、完成したばかりの金ぴかのお堂が
燦然と輝き、闇の世界が急に明るくなりました。まさに、極楽浄土の出現。
不思議な感覚に襲われた一日でした。
コメント
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