岡谷市の蚕糸博物館がリニューアルされたと聞き、行ってみました。
博物館には、洋式の機械を改良した諏訪式繰糸機などが展示されていました。
なによりも面白かったのは、今も活躍している製糸工場が併設されていること。
ここでは昔の機械が実際に動き、糸繰りの実演が見られます。
元乙女や元々乙女のみなさんが糸を繰っています。
糸繰りには70度のお湯を使います。みなさん、素手で繭を扱います。
時々、冷たい水に手をつけながらの作業は大変でしょうね。
しなやかに動く手はさくら色です。
岡谷には、雪の野麦峠を越えて働きにきた乙女たちもいました。
当時の生活を紹介する映像には、ちょっと違和感がありました。
先生の給料が一か月数十円だった当時、百円工女とよばれた
すぐれた女工さんの話はあっても、結核を病んで故郷に帰っていった
女工哀史には、まったく触れていませんでした。
時代が変われば、過去の見方も変わるのでしょうか?
このように歴史は書き換えられていくのかな?複雑な気持ちでした。
博物館には、洋式の機械を改良した諏訪式繰糸機などが展示されていました。
なによりも面白かったのは、今も活躍している製糸工場が併設されていること。
ここでは昔の機械が実際に動き、糸繰りの実演が見られます。
元乙女や元々乙女のみなさんが糸を繰っています。
糸繰りには70度のお湯を使います。みなさん、素手で繭を扱います。
時々、冷たい水に手をつけながらの作業は大変でしょうね。
しなやかに動く手はさくら色です。
岡谷には、雪の野麦峠を越えて働きにきた乙女たちもいました。
当時の生活を紹介する映像には、ちょっと違和感がありました。
先生の給料が一か月数十円だった当時、百円工女とよばれた
すぐれた女工さんの話はあっても、結核を病んで故郷に帰っていった
女工哀史には、まったく触れていませんでした。
時代が変われば、過去の見方も変わるのでしょうか?
このように歴史は書き換えられていくのかな?複雑な気持ちでした。