作者が岐阜県の垂井町へ行った時の句だそうです。
垂井は中仙道の宿の一つで、一里塚も残っています。
また美濃和紙の集散地として栄えた町。
5月の祭には、山車のうえで子供歌舞伎が行われています。
祭も終って旗や幟も納められ、再び静かな町に。
時間は音もなく過ぎ、町はずれにある一里塚の木も若葉に・・・。
季節の移り変わりの速さを詠んだ句でしょうか。
旗幟納めて、若葉、一里塚、と三段切れになっているのが
意味を切れ切れにしたうえ、リズムを悪くしているようです。
一里塚という言葉が浮いているようにも感じます。
良い句なので、ちょっと残念です。
旗幟納め若葉の一里塚
季節の一里塚とも読めると思いますが、どうでしょう?
改悪かな・・・

関ヶ原の合戦の時、東軍の浅野氏がこの一里塚を本陣にしてたそうです。
すぐ脇には、蕉風の一派岐阜の各務派の句会をした家が移築されてました
近くには、国分寺の跡とか、三重塔の寺とか、結構大きな神社がありました。
と、結宇さんのお話です。
なかなか良いところですね。 遅足
垂井は中仙道の宿の一つで、一里塚も残っています。
また美濃和紙の集散地として栄えた町。
5月の祭には、山車のうえで子供歌舞伎が行われています。
祭も終って旗や幟も納められ、再び静かな町に。
時間は音もなく過ぎ、町はずれにある一里塚の木も若葉に・・・。
季節の移り変わりの速さを詠んだ句でしょうか。
旗幟納めて、若葉、一里塚、と三段切れになっているのが
意味を切れ切れにしたうえ、リズムを悪くしているようです。
一里塚という言葉が浮いているようにも感じます。
良い句なので、ちょっと残念です。
旗幟納め若葉の一里塚
季節の一里塚とも読めると思いますが、どうでしょう?
改悪かな・・・

関ヶ原の合戦の時、東軍の浅野氏がこの一里塚を本陣にしてたそうです。
すぐ脇には、蕉風の一派岐阜の各務派の句会をした家が移築されてました
近くには、国分寺の跡とか、三重塔の寺とか、結構大きな神社がありました。
と、結宇さんのお話です。
なかなか良いところですね。 遅足