台風10号の影響で落ち着かないお盆となってしまいました。皆様いかがお過ごしでしょうか?
大阪の実家では13日に両親が一泊で施設から戻り、兄一家と共にお迎え火を焚いたそうです。
私も今日大阪に帰ろうかと思っていたのですが、台風の影響で取りやめました。今日は終戦の日でもあるし、平和を祈り心静かに過ごそうと思っています。
さきほど、父が71歳の時にそれまでの人生を振り返った回顧録のような手記を読み返してみました。17歳の時の敗戦の頃のことが多く書かれていました。
昭和20年6月15日の午前中の大阪大空襲のことが一番つらかったようです。防空壕に逃げる時に焼夷弾が頭をかすめ接触、たまたま鉄帽をかぶっていたので少しへこんだものの九死に一生を得たこと。火の海の中、祖父はふとんを、父はラジオだけもって逃げたそうですが、火の勢いがすさまじく再び室内にはもどれず、家は全焼となってしまいました。それから親戚の家に身を寄せ10年後やっと自分たちの家を持てた時、唯一焼け残った灯籠を持って来たそうです。
父は毎年6月15日と終戦記念日にはその灯籠に灯りを灯していました。
今年は灯籠の灯も、お送り火も焚けなかったけれど、ご先祖さまも台風の風に乗ってお帰りになるでしょう。
多くの尊い命を奪った戦争が二度と起こらないように祈りを捧げたいと思います。
仏壇にほおずきの火灯しおり 麗
大阪の実家では13日に両親が一泊で施設から戻り、兄一家と共にお迎え火を焚いたそうです。
私も今日大阪に帰ろうかと思っていたのですが、台風の影響で取りやめました。今日は終戦の日でもあるし、平和を祈り心静かに過ごそうと思っています。
さきほど、父が71歳の時にそれまでの人生を振り返った回顧録のような手記を読み返してみました。17歳の時の敗戦の頃のことが多く書かれていました。
昭和20年6月15日の午前中の大阪大空襲のことが一番つらかったようです。防空壕に逃げる時に焼夷弾が頭をかすめ接触、たまたま鉄帽をかぶっていたので少しへこんだものの九死に一生を得たこと。火の海の中、祖父はふとんを、父はラジオだけもって逃げたそうですが、火の勢いがすさまじく再び室内にはもどれず、家は全焼となってしまいました。それから親戚の家に身を寄せ10年後やっと自分たちの家を持てた時、唯一焼け残った灯籠を持って来たそうです。
父は毎年6月15日と終戦記念日にはその灯籠に灯りを灯していました。
今年は灯籠の灯も、お送り火も焚けなかったけれど、ご先祖さまも台風の風に乗ってお帰りになるでしょう。
多くの尊い命を奪った戦争が二度と起こらないように祈りを捧げたいと思います。
仏壇にほおずきの火灯しおり 麗