575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

ブラレイコ  高遠城跡編  麗

2019年08月29日 | Weblog
先日、ちょっと足を伸ばして伊那市の高遠までドライヴ。
春には城址公園内の1500本を超える「タカトウコヒガンザクラ」というちょっと赤みのある桜が咲き誇り、多くの観光客でにぎわいます。(写真は桜雲橋。ここが撮影ポイントです。)
亡き朱露さんが「高遠はいい!」と絶賛されていて一度訪れてみたいと思っていました。

夏の高遠。城址公園はとても空いていておりただ蝉時雨が聞こえるだけ。どこまでも勢いよく桜の葉が生い茂り、木陰はとても涼しいです。
高遠の歴史は古く、南北朝の頃に諏訪高遠氏が治めていました。そして武田、保科、鳥居、内藤という歴代の城主が治め数々の戦いの舞台となったお城です。
江戸時代。2代将軍秀忠の側室の子が、高遠城主の養子に入りました。それが保科正之です。将軍の子であることも自慢せず、その後、家光に認められ、生涯江戸幕府のために働いたそうです。
明治維新で高遠城は廃城になり建造物は何も残っていませんが、明治8年に旧藩士らの手によって桜が移植され、多くの人々が集う「高遠公園」となり現在は見事な桜の名所になっています。

建物が何も残っていないというのが、かえってはかなさを感じさせ、それが桜とあいまって日本人の心に響くのでしょう。晩夏の蝉の鳴き声もまた心に染みました。

            もののふの戦いのあと蝉時雨  麗
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