
摘み草という私にとっては馴染みのない昔からの風習が
水辺にあるセリ、その細い流れに向かって母が屈むという
光景を描くことで一気に具体性を帯びました。
「細き流れへ」という描写があるだけで屈んだ母の小ささ、
年老いてはかなげな感じも想像して選句しました。
そういえば、
私も母と矢田川の土手で
ヨモギを摘んだことがあったと思い出しました。
草餅をつくってくれたのです。
そのときの母は、何とも頼もしく見えました。
プライスレスで見事に付加価値をつけ
おやつをつくるのですから
さすが、戦中をかいくぐってきただけのことはある。
知多四国のお遍路途中、
野蒜を見つけて道をはずれ、
嬉々として積み草をするお年寄りもしかり
生命力にあふれています。
今の人たちにはちょっと足りないエネルギー、
政府や新型コロナのせいばかりにしていませんか?
少々反省 郁子