守山区志段味に爆弾坂と呼ばれる小さい坂があります。
1945年3月25日未明、B29が名古屋へ空襲の帰りにも爆弾投下。
不幸にも12名の死者が出たのです。
この地区の人はこんな田舎に空襲があるとは思わなかったそうです。
ところで、志段味中学校の生徒が地域にちなんだカルタを作ったことがあり
そのなかに「爆弾坂」も取り上げられていました。
写真は絵札。
言葉の方は「負の遺産。歴史に残る大事件。ばくだん坂は志段味の記憶」
昭和20年(1945)3月24日の深夜から25日の未明にかけてアメリカ軍による空襲があった。
B29爆撃機から21個の爆弾が落とされ、被害は12 名死亡・重傷1名・家屋の全焼一戸・全半壊五戸に及んだ。
場所は富士塚から下寺林にかけての坂である。
その悲惨な事件を忘れないために、その坂を「ばくだん坂」と呼んでいる。
死者の出た顛末はタイルに印刷され、遊歩道のベンチに貼られています。
軒下の土に臥す母虫の息泣くなの声に泣いてすがりぬ
短歌に詠んでいらっしゃるのが春日井市の水野かよ子さん。
歌集「爆弾坂」によれば、母と弟と3人で防空壕に避難しましたが、
母が自分たちの為に布団を取りに外に出て、爆弾に当たり死亡。
自分が引き止めなかったせいだと悩んでいたそうです。