575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「虚子と能」

2020年08月30日 | Weblog

高浜虚子の娘、星野立子は虚子の日常を仔細に
書き残しています。それによると、虚子は俳句
作りの時間より、雑誌の発行に伴う雑務が多く
ストレスからくる持病で苦しんでいたようです。
医師から、執筆活動と無縁な趣味を持つことを
勧められ虚子は「能」を選びます。

やがて、虚子が主宰者となり「鎌倉能楽会」を
立ち上げます。趣味として始めた能でしたが、
プロの能楽師に就き「ホトトギス」の発刊記念
会では、泉鏡花、志賀直哉、森鴎外を招き、本
格的な能楽の宴を催しています。

虚子と夏目漱石は親友でした。そのため、漱石
も虚子に勧められ能を学び始めます。漱石の作
品では「吾輩は猫である」の苦紗弥先生が厠で
「謡」<よう>をうたう場面が描かれています。
しかし、作者である漱石の謡は「ヤギの鳴き声
のようだ」と友人たちから笑止されています。
ちなみに「永日小品」には漱石が虚子の鼓で謡
をうたうドキュメンタリーが描かれています。

「虚子がやにわに大きな掛声をかけて、鼓をか
んと一つ打った。自分は虚子がこう猛烈に来よ
うとは夢にも予期していなかった。元来が優美
な悠長なものとばかり考えていた掛声は、まる
で真剣勝負のそれのように自分の鼓膜を動かし
た。自分の謡はこの掛声で二三度波を打った。
それがようやく静まりかけた時に、虚子がまた
腹いっぱいに横合から威嚇した。自分の声は威
嚇されるたびによろよろする。そうして小さく
なる。しばらくすると聞いているものがくすく
す笑い出した。<著 夏目漱石 永日小品>

ところで、虚子の父「池内庄四郎政忠」は伊予
松山藩の藩士で廃藩置県により帰農。剣術に長
け、教養も深く能も巧みだったと虚子は記して
います。江戸時代の武士は、英国で”Sir”の称号
を持つ”Knigh”のように、武と知を兼ね備えて
いたようです。

「能すみし 面の衰へ 暮の秋」<虚子>

文と写真<殿>
コメント (1)
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