575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

空蝉にいのちの余韻ありにけり 亜子

2020年08月28日 | Weblog
空蝉句会
兼題で同数一位となったこの句
女性の票を集めました。


麗子さん「中七のいのちの余韻に魅かれました」
紅さん「重みのある一句だと思います」
晴代さん「いのちの余韻がいい 我が身も余韻の真っ只中」

抜け殻のぱっくり開いた空洞に
今まで確かにあったいのちを感じる
作者の慈愛のまなざしが素敵ですね。


ふと思いました。
羽化するときの蝉は何を思うのでしょう。

 やっと木に登れば痛し空蝉の背ナ(等)

痛くて悶絶ものでしょうか?
それとも
はちきれんばかりの期待とともに
恍惚として羽をのばすのでしょうか?
どちらにしてもとんでもない変化。
変態というのでしたっけ?

今、激動の時代
変化していくことをどのように受け止め
どのような選択をするのか。
「せっかく飛べるようになってもさ、
厳しい現実にもまれて短い一生を終えるんだよ。
幼虫のまま夢見ていたほうが幸せじゃないかな」(私)
「どんなリスクがあったとしても
僕は一生土の中にいたいとは思わないな。」(夫)

性格があぶりだされた我が家の会話でした。郁子
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする