575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

猫の素顔

2020年09月06日 | Weblog


夏目漱石。「吾輩は猫である」の著者。本名
は夏目金之助。政岡子規が「七草集」という
俳句の文集をまとめ、漱石が書評を添えたこ
とが縁となり二人は生涯の友となります。ち
なみに「漱石」とは唐の語句で「変わり者」
という意味。素顔の漱石は気分屋でシニカル
な一面があったようです。

「朝貌や 惚れた女も 二三日」<漱石>

漱石は、創設されたばかりの帝大の英文科を
卒業。高等師範学校の英語の教師となります。
しかし、肺結核を発病し辞職。転地療養を余
儀なくされ、四国の松山で中学校の教師とな
ります。都落ちともいえる転身。小説「坊ち
ゃん」でも江戸っ子の自尊心から物事を見つ
めています。結末の卵は自らの不甲斐なさに
ぶつけた比喩のような気がします。

療養後、東京へ戻った漱石は、文部省より英
国への留学を命じられます。しかし、ロンド
ンの下宿に籠り、公務と異なるシェークスピ
アの研究に没頭。神経衰弱と胃潰瘍が悪化し
たこともあり帰国を命じられます。

「罪もうれし 二人にかかる 朧月」<漱石>
(ロミオとジュリエットより引用)

帰国後の漱石は帝大の英語講師を命じられま
す。しかし、前任者のラフカディオ・ハーン
の解雇に反対する学生運動が起こり、漱石は
不貞腐れたような句を詠んでいます。

「能もなき 教師とならん あら涼し」<漱石>

やがて、柳原極堂が発刊する「ホトトギス」
に猫の視点で描いた「吾輩は猫である」を発
表。そして「坊ちゃん」により日本文学界の
寵児となります。「英書と漢書を自在に操る
逸材」と子規は漱石を高く評価しています。
漱石は「吾輩は猫である」を執筆するとき、
日本語と英語で文を考えたといわれています。
知られざる「猫」の素顔かもしれません。

写真と文<殿>
コメント
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