富安風生<とみやすふうせい>豊川稲荷で知られる
愛知県豊川市で生まれ、時習館高校を経て東京帝
国大学の法科を卒業します。九州の赴任先で「吉
岡禅寺洞」<よしおかぜんじどう>より高浜虚子を
紹介されたことから俳句に興味を持ち、母校であ
る東大俳句研究会の結成に尽力します。
風生は、やがて逓信省内の俳句雑誌「若葉」の主
宰者に抜擢されます。そして、ホトトギスの僚誌
である「破魔弓」が「馬酔木」に改題した際、水
原秋桜子と虚子の弟子になります。
風生は、水原秋桜子、高野素十らが持つダイナミ
ックな句風とは一線を画した感があり、師である
虚子も風生の句集「草の葉」の序文で「温雅、穏
健」と評しています。風生は、すべてあきらかに
する表現を避け、読み手の心の広がりを待つ茫洋
とした句風を得意としていたようです。
「よろこべば しきりに落つる 木の実かな」<風生>
上記は風生の代表句。ホトトギスを除名処分され
た「杉田久女」<すぎたひさじょ>は「喜べど 木の
実も落ちず 鐘涼し」と対立する風生の句を揶揄し
ています。しかし、この句を詠んだ風生は笑みを
浮かべ頷いていたそうです。風生は植物に詳しく
「植木屋 富安」から「植富」という愛称で、その
温厚な人柄は他門の俳人からも愛されていました。
官を辞した風生は、山中湖で過ごすことが多くな
ります。そして、地元の句会「山中湖 月の江会」
で活動。なお、風生に関する書籍や愛用品などは、
「風生庵」<山中湖 文学の森公園>に展示されてい
ます。http://bungakunomori.jp/
余談ですが、知人に風生の子孫がいます。豊川の
生家には観光バスが訪れるとの由。しかし、文化
不毛の地といわれる三河。腰丈ほどの石碑がある
のみ。ちなみに、彼女は俳句に興味がなく、風生
の新たな逸話を聞くことは叶いませんでした。
富安風生 享年95歳。2月22日が「風生忌」辞世の
句は最後の句帳から抽出されています。
「九十五齢とは 後生極楽 春の風」<風生>
写真と文<殿>