575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

久女の笑み

2020年09月20日 | Weblog


杉田久女 <すぎたひさじょ>長谷川かな女、竹下
しづの女、と並ぶ日本の女性俳人の先駆者。大蔵
省の書記官だった父の転勤により鹿児島で生まれ、
12歳まで沖縄で過ごします。お茶ノ水女子大学付
属高等学校を卒業。

1909年に美術教師「杉田宇内」と結婚。やがて
娘を出産。久女は小説家を目指していたようです。
しかし、高浜虚子と出会い、感銘を受けた久女は
俳諧の道へと進みます。そして、当時、俳壇の登
竜門といわれた文芸誌「ホトトギス」への投句を
始めます。

「足袋つぐや ノラともならず 教師妻」<久女>

久女は、女性の視点から日常の生活を詠み「台所
俳句」といわれていました。しかし、時を経て格
調高い華やかな句へと変遷していきます。ちなみ
に「ノラ」はイプセン著「人形の家」の主人公。
主人公「ノラ」は人形のように愛されていたと気
がつくというストーリー。

久女は俳句に熱中します。当時、既婚女性は主婦
業に専念するのが一般的。そのため、離婚騒動が
あり、キリスト教に改宗し俳句から離れていた時
期があります。しかし、帝国風景院金賞に入選し
たことで、久女は広く世間に知られる著名人とな
ります。そして、高浜虚子が主宰する「ホトトギ
ス」の同人となります。

久女は、自らの句集を発表しようと、序文を虚子
に依頼します。しかし、虚子は頑なに拒否。久女
を「ホトトギス」から除名してしまいます。除名
の理由は、俳壇の派閥抗争と虚子の性格にある気
がします。

「谺して 山ほととぎす ほしいまゝ」<久女>

上記は、日本新名所俳句で金賞を得た久女の代表
句です。選者は虚子。真の句意は別。しかし、後
世の私たちから眺めると文芸誌「ホトトギス」の
痛烈な比喩とも解釈できます。

久女は、尊敬する虚子との争いに心を疲弊させて
しまったのでしょうか。戦後の劣悪な食糧事情も
あり56歳という若さで亡くなっています。

生前、出版できなかった「杉田久女句集」は川端
康成が高く評価。俳人となった長女「石昌子」に
より出版されています。久女の悲願ともいえる句
集を開きます。ふと、久女の笑みが浮かびました。

「横顏や 煖爐<だんろ>明りに 何思ふ」<久女>

写真と文<殿>

コメント
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