「萩往還」という言葉を初めて聞きました。ネットで調べてみると、毛利氏が1604年に萩城築城後、参勤交代で江戸へ向かうお成道として開かれたとのこと。幕末には維新の志士たちが往来しました。山陰と山陽を結ぶ重要な道です。今も萩往還には一里塚や茶屋跡などが残り「歴史の道百選」にも選ばれています。
作者の結宇さんは、山口の毛利博物館を訪れたことがあるそうです。明治の建築とはいえ、当時の大名庭園の名残をしっかり持った邸宅が素晴らしかったとのこと。池や川を配しておりその広大さに驚かれたそうです。そして、その時に萩から東海道へ出るまでの道を訪ねられたそうです。結宇さんは歴史にお詳しいので、きっとこの道を駆け抜けた幕末の志士の息遣いに思いをはせられたのでしょう。
皆さんのコメントです。
須美さん:そうだったんだろうなと思える。
晴代さん:息は白いが胸の内は真っ赤だったことでしょう。
千香子さん:明治の若き志士たちの情熱、意気込みを感じます。
私もいただきました。冬場に長州藩の志士たちが萩の道を駆け抜け、幕末に至る議論を重ねた様子が想像できました。「息白し」という兼題で150年以上前の様子を詠まれたことに敬意を表します。
そういえば結宇さんは2018年8月の「流れ星」というお題で
流れ星志士しかと踏む国境
という句も作っておられます。穏やかな結宇さんですが、どこか論議する志士にひかれる熱い思いをお持ちなのだと思いました。
年内の私のブログ担当は今日が最後です。なかなか皆様の句全部をご紹介できませんでしたが、今年もおつき合いいただきありがとうございました。
皆さまどうぞよいお年をお迎えください。麗子