575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

戦後の給食は          愚足

2007年09月16日 | Weblog
 昨日、「昭和区の平和のつどい」という催に参加した。途中老人が戦争戦後体験を話された。話はもっぱら戦中・戦後の食糧事情のことであった。
 空襲とか、疎開とかつらい事もあったけれど一番つらかったのは食べ物の無いことだったと話された。

 私にとっては、戦後の給食体験が思い起こされた。
 戦後の給食は、アメリカなどのアジア救済物資の助けで始まった。
 評判の悪い脱脂粉乳もあらそって飲んだ思い出がある。いま思い返せば大体の子は給食を楽しみにしていた。コッペパンのような黒っぽいパン。かき回して粉を均一にして注いだ脱脂粉乳。ひじき・ちくわ・くじら・大根やイカの煮付けなどなど味の薄い単品のおかずが多かった。でもお代わりもしたものだ。
 しかし、よく考えるとみんな大人になってからは嫌いなおかずの幾つかになったのも事実。

 東京には懐かしい「給食」を売りにした食堂も流行っているというが、さすがに行く気はしない。

 天高く脱脂粉乳争えり
 アルミ皿いっ杯に在るひじきかな
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草の花伊豆石廊崎生き止まり   朱露

2007年09月15日 | Weblog

    石廊崎から身を投げた親子三人の霊よ。
    男不倫の清算の形はこれしかないのか。
    幼女に父母へのクレイム権はないのか。
    崖ぎりぎりまで寄って、強風と草の花。

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黒雲草と嵐草         草女

2007年09月14日 | Weblog
 八月の終わりに阿弥陀が原と室堂周辺の植物ウオッチングのツアーに参加し、亜高山帯から高山帯の植物を数多く観察することが出来た。
 その中にクロクモソウがあった。ユキノシタ科ユキノシタ属で日本固有の植物。
 必ずしも標高が高くなければ生えないという植物ではないが、今までまだ会えていなかった。
 ずーと憧れていたのは名前のせい。赤褐色の小さな花が集まって咲いている様子を黒雲に喩えたという説と、雲が高い山を表していると言う説とがある。
「黒雲」と言う名前がロマンを感じさせる。そして今回会えて大満足!!    

立山には地獄谷がある。降りる道はゆったりとした下り坂であったのに、ミクリが池への登りは急坂。標高2000mを越しているから空気が薄い。
心臓がパクパク打ち呼吸が苦しい。
   地獄谷 這い登る背にちろろ鳴く
 植物も目に入らないくらいしんどいのだから何が鳴いているのかも分かっていない。体力の限界を感じて引き返した。ところがミクリヤ池を越して、もっと上に行くと嵐草があったと後で聞いた。
 ユキノシタ科アラシグサ属の植物でこれも日本の固有種。嵐の吹くような地にはえるから名づけられたとか、嵐の来る頃咲くからだとか色々な説がある。
 図鑑で見ると花茎が必ずと言っていいほど曲がっているので、それが嵐の後を感じさせるからだと私はおもっている。この草は高山帯の乾いた場所にしか生えないために会う機会は少ない。花は黄緑色で目立たないというものの会いたかった。
 体力不足で途中棄権をしたばっかりに会えず、残念無念。
 
 
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力ことば   麗

2007年09月13日 | Weblog
現代詩作家の荒川洋治さんは
鈍感力、患者力、会話力など最近流行のことばを「力ことば」
という風に呼んでいます。

従来、想像力、集中力、読解力などという風に使われていたのが
赤瀬川原平の「老人力」あたりからちょっと違った使われ方の始まりらしい。
今や「親力」やら「日本語力」など。教師もすがる教育力。
わけのわからない力に吸い寄せられる現代人。

昨日の首相辞任にびっくりのマスコミ。次の力ことばは「辞任力」あたりでしょうか?それにしても気の毒なほど「眼力(めぢから)」のない会見でした。
これも新しいことばですね。
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題詠は「虫」   遅足

2007年09月12日 | Weblog
9月の句会は19日。一週間後となりました。
題詠は「虫」です。

虫の声 虫の音 虫時雨 虫の闇

また、蟋蟀(ちちろ虫) 鈴虫 松虫 
など具体的な虫でもOKです。

虫の音色はいろいろに喩えられています。

 其中に金鈴をふる虫一つ  高浜虚子

 石かげに水湧くごとく朝の虫  上村占魚

夜が終って、朝の光が庭に差し込みました。
石のかげから聞こえる虫の音。
さわやかな音を水が湧くと感じたのでしょうか。

 虫の声月よりこぼれ地に満ちぬ 富安風生

虫の音といえば闇のなかから聞こえてくるもの。
その音をまるで光のようだと、感じ取ったのでしょうか?
虫の闇が輝いているようです。
声を光そのものに喩えた句もあります。

 こほろぎのこゑのひかりの夜を徹す 野澤節子

この句では、逆に闇が強く感じられるようです。

    久しぶりの

締め切りは17日一杯です。よろしくお願いします。






  


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荻原教室・近況報告    鳥野

2007年09月11日 | Weblog
朝日カルチャーは、教室のフロアーが全面改装とあって、8月中お休み。
荻原先生とも、ご無沙汰でした。

ようやく9月頭から、再開。新しい荻原教室は、明るくて広くて階一番の優遇。受講生はみんな喜んでいます。

出席率も相変わらず上々で、欠席の人も作品だけは提出という熱心さです。

カルチャーといえば、ふつうは熟年者が多いのに、若手も混じっているのが、荻原教室。故に難解な作品もあるのですが、先生は難解句を解かれる感性で、じっくりと受け入れられます。そこが人気の所以かも。

 先回の報告で、題は、青、空まで済んで次は「雨」「虹」と続きました。

 荻原先生の作品

  ・ ぬるくひえた雨の重みをTシャツに含ませながら待つ夏の午後

  ・ 虹のたつあなたのなかがあおぞらになる前に降つてゐた雨のこと

 短歌表現辞典に載っていた先生の歌

  ・ 虹をうしないまた虹を得て曖昧のただみずいろの歳月である

教室での題は、雲、風まで決定しています。乞うご期待。
 

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ミソハギ科サルスベリ属サルスベリ     愚足

2007年09月10日 | Weblog
 安倍さんの「しがみつかない」発言の連想で「さるすべり」が頭に浮かんだ。
 近所にも今盛りのさるすべりの花があちこちに咲き誇っている。

 「サルスベリって何科なの?」と妻に聞いた。
 すると「ミゾハギ科サルスベリ属サルスベリよ。」と言う答え。

 「おいおい・・ミゾハギって草じゃないの?」
 草が「科」で、「属」が木なの? と驚いた。
 そこで、木が「科」で、草が「属」のものが有るかと意地悪のつもりで聞いてみた。
 「あるわよ。たとえば、バラ科ヘビイチゴ属ヘビイチゴ。」とこともなげにおっしゃる。

 一体、科とか属は木と草という分類とは無関係なのか!!!と

 妻に聞きたいが、長ーい、長ーいお話になりそうなので止めました。

  鼠尾萩や身にかからざる露もなし     暁台
  百日紅咲きつぐなかに父老いぬ      大串 章

※写真はミゾハギ科ミゾハギ属ミゾハギ      
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笠置山   遅足

2007年09月09日 | Weblog


前から登ってみたい山がありました。
場所は京都府の笠置町にある笠置山。
木津川にそった標高300米たらずの小山。
南北朝の英雄?後醍醐天皇が、幕府軍の追及を逃れ立てこもった山。
しかし幕府軍の決死隊の奇襲にあって、後醍醐軍はあえなく敗れ、
天皇は隠岐の島に流されました。
時は1331年のことです。

 うかりける身を秋風にさそわれて
   思わぬ山の紅葉をぞ見る

笠置山での後醍醐天皇の歌です。

天皇が逃げ込んだ山には笠置寺という寺院があったのです。
ここには東大寺ゆかりの高僧がいて、
第一回のお水取りは、ここの正月堂で行われたとのことです。
後醍醐天皇のおかげで由緒ある寺は焼け落ち、
信仰を集めていた磨崖仏も剥げ落ちてしまいました。

もともと、この巨岩は遠く弥生の頃から神として崇められていたもの。
それが仏教の伝来で、表面に仏様の模様を刻み込まれたわけですが、
また、もとの神様に戻ったのかも知れません。

一時、再興された笠置寺も、江戸時代にはすっかり荒廃していました。
明治に入って、再興され、いまは観光名所になっています。
紅葉の頃が最高のようです。

写真は焼け残った磨崖仏です。

  虫の音や色失わぬ磨崖仏  遅足


  

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そぞろ寒閉じては開くカラマーゾフ      朱露

2007年09月08日 | Weblog

    亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」を読む。
    米川正夫訳の昔は歯が立たなくて、ツン読。
    歯がある時には歯が立たないという大矛盾。
    ドストエフスキーはそんなこと言ってない。

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会いたい、見たい、覗きたい          草女

2007年09月07日 | Weblog
 八月下旬、面の木峠の植物観察会に参加。湿地に蓮華升麻(レンゲショウマ)が見られるかも知れないという情報があつて、わくわくしながら行った。
 レンゲショウマはキンポウゲ科レンゲショウマ属の日本固有の植物。花が蓮華(ハス)に似ていて、葉がサラシナショウマに似ているのでこの名がついたと言い、今まで見たことが無く、長く憧れていた。
 図鑑では弱弱しく、優雅で今にも消え入りそうな風情である。その上この草も個体数を減らし続けている。
 やはり残念ながら面の木峠の湿地にはその姿は無かった。所がである、なんとそこのビジターセンターの鉢の中にあったのである。
 職員が湿地から姿を消したので家にあったものを持ってきたと言う。「エッそれって?」仲間は同じ事を思い顔を見合わせた。しかし、職員の人は熱心に「写真を撮るなら外へ持っていって写したら。」と助言をしてくれる。
 
 レンゲショウマは下向きに咲く。膝を折り下からカメラを向けていたら「スカートの中覗かないでよ!」の声。
 外側のスカートに見える部分はがく片。中の丸く見えるのが花弁。覗かないでは花弁もしべも見えない。
 花は子孫を残すための生殖器。かつてイチヤクソウという植物を下から写して瞠目したことがある。上から見た可憐さとはかけ離れた姿がそこにあった。覗いても美しい訳ではない。
 採集して調べることが憚れる今日、植物調べは専ら写真に頼っている。ところが写真を撮るとそれで満足して観察したような気分になる。せめて上下左右にレンズを向けたい。
 本来は植物を観察するときは、ルーペで覗いたり、触れてみたり、香りを確かめたりする事が必要であるが、ともすれば御座なりになってしまう。
 そこが反省点である。
 
 
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浅田ワールド   麗

2007年09月06日 | Weblog
昨日、この秋公開の邦画「オリヲン座からの招待状」
を試写会で見てきました。
戦後の京都でひっそりと営んで来た小さな映画館「オリヲン座」。
その閉館を知らせる手紙がゆかりの人々に届く。
テレビ時代の到来。斜陽の時を迎え
時代に翻弄されながらも映画館を守り続けた二人の純愛物語。

原作は浅田次郎氏。最近昭和を扱った映画が多く
これも切なさと懐かしさでじわ~と涙が出てくるそんな映画でした。
主演の宮沢りえちゃんの京都弁も完璧でした。
11月に公開予定。浅田ワールド満開です。

       映画館涙を拭いて街に出る   麗


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北国街道・海野宿   遅足

2007年09月05日 | Weblog
先週、海野(うんの)宿に行ってきました。
長野県の上田地方、旧北国街道の宿場・海野宿。
街道の真ん中に用水が流れ、昔ながらの佇まいを残す宿場町です。

 夕過ぎの臼の谺(こだま)の寒さかな

一茶の句碑が建っていました。
冬は寒いのでしょう。一人旅をする一茶の心情が伝わってきます。

海野宿は、江戸時代の初めに北国街道の宿駅として開設されました。
しかし明治になって宿場町としては衰退していきました。
こうしたなか、長野県で生糸の生産が盛んになり、
海野宿は、旅籠として使っていた建物を蚕室に改造、
養蚕の町として復活しました。


余談ですが、長野県の生糸産業は、昭和の恐慌で衰えはじめ、
輸出先であったアメリカとの戦争で壊滅的な打撃をうけました。
長野県から満州開拓団に加わる人たちが多かったのは
養蚕業が衰え、失業者が増えたためでもあったようです。

一茶に学んで一句。

 秋一日白の谺の信濃かな  遅足

蛇足 真田十勇士の一人に「海野十郎」がいますが、
    その昔、このあたりを支配していた
    海野一族にちなんで創作された人物です。






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ネコの学習    鳥野

2007年09月04日 | Weblog
わが家の姉貴ネコめ、老化のせいか、小用の際、砂箱の中の座り込みが不十分になり、中腰のまま、外へ向かってピューッ。
汚れ防止のため、回りにペットシートを敷き詰めました。

当分の間は、砂箱に収まることもあれば、はみ出すこともありで、一安心。

 ところが最近は、専らシートの上。
 箱の縁をまたいで入り、砂を掻いて排尿を促し、素早く済まして、丹念に砂をか ける・・・。
それらの行為は、「単独で行動し待ち伏せで捕食」する彼らネコ族の本能。無防備な排泄と、そのの痕跡は生命の危険にかかわるのです。

それなのに、面倒な手間を省くことを知って、あっさりと”手抜き”を選び、跡を隠そうともしない。

大切な先天性遺伝形質を、いとも簡単に捨てて”利便性”を獲得をしてしまった彼女を見ていると、考えさせられます。

面倒なことは、スイッチ任せ、私たちが失った物の多いことを。


( 姉貴よりのPS・ワタシは野原で暮らしたい 本能の赴くままに・・・)


     猫までも余裕の歩み日脚伸ぶ   榊原冬人

     満月やたたかふ猫はのびあがり  加藤楸邨

     猫も手に顎のせてをり秋の暮   森 澄雄



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忘れ物           愚足

2007年09月03日 | Weblog
陽水の曲「夢の中へ」は身につまされると同時に癒してくれる歌です。

 探し物はなんですか?
 見つけにくいものですか
 ・・・・・・
 はいつくばって はいつくばって
 いったい何を探しているの
 探すのをやめた時
 見つかることもよくある話で
 ・・・・・・
 それより僕と踊りませんか

俳句の忘れ物の句は

 冬ごもり眼鏡探してばかりかな      草間時彦
 夏みかん手に海を見る場所探す      細見綾子
 朧夜の出口を探す親子かな        小泉八重子
 蠅叩一日うせてゐたりけり        吉岡禅寺洞

陽水の方がいいなあ。
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秋刀魚の歌           愚足

2007年09月02日 | Weblog
あはれ 秋風よ 情あらば 伝へてよ
男ありて
今日の夕餉に ひとりさんまを食いて 思ひにふけると。

さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸を したたらせて
さんまを食ふはその男がふる里の ならひなり。
そのならひを あやしみ なつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て 夕げにむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする 人妻と
妻にそむかれたる男と食卓に むかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男に さんまの 腸をくれむと 言ふにあらずや。

あはれ 秋風よ 汝こそは 見つらめ
世のつねならぬ団欒を。
いかに 秋風よ いとせめて
証せよ かの一ときの団欒 ゆめに非ずと。

あはれ 秋風よ 情あらば 伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
男ありて
今日の夕げに ひとり
さんまを食ひて 涙をながす と。
さんま、さんま、
さんま苦いか 塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふは
いづこの里のならひぞや。
あはれ げにそは 問はまほしくをかし。

~佐藤春夫 『秋刀魚の歌』~

※ 中学三年のときに、この詩に出会った、詩の好きな教師がプリントしてくれたのである。「へー 秋刀魚でこんな長い詩が書けるんだ、蜜柑の汁をかけるんだ、さんまの腸は食えるんだ、」等と無邪気に感心した。

 今日秋刀魚食って思い出した。そして 女は強いと思った。

 秋刀魚喰いテレビにわらふ妻を見る    ぐ    
 
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