昨日、「昭和区の平和のつどい」という催に参加した。途中老人が戦争戦後体験を話された。話はもっぱら戦中・戦後の食糧事情のことであった。
空襲とか、疎開とかつらい事もあったけれど一番つらかったのは食べ物の無いことだったと話された。
私にとっては、戦後の給食体験が思い起こされた。
戦後の給食は、アメリカなどのアジア救済物資の助けで始まった。
評判の悪い脱脂粉乳もあらそって飲んだ思い出がある。いま思い返せば大体の子は給食を楽しみにしていた。コッペパンのような黒っぽいパン。かき回して粉を均一にして注いだ脱脂粉乳。ひじき・ちくわ・くじら・大根やイカの煮付けなどなど味の薄い単品のおかずが多かった。でもお代わりもしたものだ。
しかし、よく考えるとみんな大人になってからは嫌いなおかずの幾つかになったのも事実。
東京には懐かしい「給食」を売りにした食堂も流行っているというが、さすがに行く気はしない。
天高く脱脂粉乳争えり
アルミ皿いっ杯に在るひじきかな
空襲とか、疎開とかつらい事もあったけれど一番つらかったのは食べ物の無いことだったと話された。
私にとっては、戦後の給食体験が思い起こされた。
戦後の給食は、アメリカなどのアジア救済物資の助けで始まった。
評判の悪い脱脂粉乳もあらそって飲んだ思い出がある。いま思い返せば大体の子は給食を楽しみにしていた。コッペパンのような黒っぽいパン。かき回して粉を均一にして注いだ脱脂粉乳。ひじき・ちくわ・くじら・大根やイカの煮付けなどなど味の薄い単品のおかずが多かった。でもお代わりもしたものだ。
しかし、よく考えるとみんな大人になってからは嫌いなおかずの幾つかになったのも事実。
東京には懐かしい「給食」を売りにした食堂も流行っているというが、さすがに行く気はしない。
天高く脱脂粉乳争えり
アルミ皿いっ杯に在るひじきかな