先週、海野(うんの)宿に行ってきました。
長野県の上田地方、旧北国街道の宿場・海野宿。
街道の真ん中に用水が流れ、昔ながらの佇まいを残す宿場町です。
夕過ぎの臼の谺(こだま)の寒さかな
一茶の句碑が建っていました。
冬は寒いのでしょう。一人旅をする一茶の心情が伝わってきます。
海野宿は、江戸時代の初めに北国街道の宿駅として開設されました。
しかし明治になって宿場町としては衰退していきました。
こうしたなか、長野県で生糸の生産が盛んになり、
海野宿は、旅籠として使っていた建物を蚕室に改造、
養蚕の町として復活しました。
余談ですが、長野県の生糸産業は、昭和の恐慌で衰えはじめ、
輸出先であったアメリカとの戦争で壊滅的な打撃をうけました。
長野県から満州開拓団に加わる人たちが多かったのは
養蚕業が衰え、失業者が増えたためでもあったようです。
一茶に学んで一句。
秋一日白の谺の信濃かな 遅足
蛇足 真田十勇士の一人に「海野十郎」がいますが、
その昔、このあたりを支配していた
海野一族にちなんで創作された人物です。
長野県の上田地方、旧北国街道の宿場・海野宿。
街道の真ん中に用水が流れ、昔ながらの佇まいを残す宿場町です。
夕過ぎの臼の谺(こだま)の寒さかな
一茶の句碑が建っていました。
冬は寒いのでしょう。一人旅をする一茶の心情が伝わってきます。
海野宿は、江戸時代の初めに北国街道の宿駅として開設されました。
しかし明治になって宿場町としては衰退していきました。
こうしたなか、長野県で生糸の生産が盛んになり、
海野宿は、旅籠として使っていた建物を蚕室に改造、
養蚕の町として復活しました。
余談ですが、長野県の生糸産業は、昭和の恐慌で衰えはじめ、
輸出先であったアメリカとの戦争で壊滅的な打撃をうけました。
長野県から満州開拓団に加わる人たちが多かったのは
養蚕業が衰え、失業者が増えたためでもあったようです。
一茶に学んで一句。
秋一日白の谺の信濃かな 遅足
蛇足 真田十勇士の一人に「海野十郎」がいますが、
その昔、このあたりを支配していた
海野一族にちなんで創作された人物です。